『細雪』は1943年(昭和16年)から執筆連載がなされ、途中戦時下からの軍部の圧力もあったが執筆を続け、1944年(昭和19年)に私家上巻を知人に贈った。下巻が完成したのは戦後の昭和23年。しかし今度はGHQの検閲を受け、『細雪』全巻を中央公論社から刊行したの1949年(昭和24年)の12月だった。

『細雪』の舞台(時代)設定は1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)の神戸芦屋、大阪(上本町)、東京などが描かれている。その描写は文学的価値以上に歴史文化的なものがあります。私が憧憬し懐かしむ大阪がそこにありました。

日本は支那事変から真珠湾攻撃前の頃、欧州では第二次世界大戦(1939年)が勃発していた。といってこの芦屋の家族いや一般社会でも平穏そのもので数年後に国家を襲う大厄災を誰も予感するものはいない。
そんなものなんだろうなあ。。と思った。多分それに気づくのはサイパン陥落から制空権を握られ「空襲」という実害を体感してからでしょうか。
大阪大空襲(第一回目)は1945年(昭和20年)の3月です。
その頃、私の父は徴用で大阪の松下電気に勤めていました。第一回大阪大空襲(昭和20年3月13日)のあとに焼け跡の北区扇町あたりを呆然として歩いていたそうです。そのとき、背後でパーンという破裂音がして振り返ると焼け跡で遊んでいた子供たちの一人が焼夷弾かの不発弾を弄ってそれが破裂し、その破片の一部がその子の腹部を直撃したようでした。
近くにいた母親らしき女性が駆け寄って抱き抱えるのですが、その子の真っ赤に染まった腹部から腸が溢れ出てきて、母親はそれを必死に子供のお腹のなかに押し戻そうとしていたと。

それから四半世紀経って、父はよくうなされることがあった。そんなときは直ぐに起こしてくれるようにと母に言いつけいました。その何回目かのときにうなされて起こされて朦朧としたなかで父が夢のように、その時のことを語っていました。
「そんなことをしても詮無いことなのに、母親というものは。。」
父はその空襲の後すぐに召集され、一旦郷里に帰ってから広島の大竹に向かった。駅舎で見送りの祖父が「死んで戻って来るかカタワになって戻って来るしかないんだろう」と呟いたそうです。
幸運なことに数ヶ月で終戦となり、父は(内地訓練中)無事帰還できました。
日本は敗戦国となる。
私は昭和34年生まれなので戦争を知らない。どころかひと回り上の団塊世代も知らない「戦争を知らない子供たち」です。
『細雪』は昭和16年までの蒔岡家の物語ですから空襲とか戦争の描写はほとんどない。軍部の圧力はあったとしてもなぜGHQは『細雪』を危険視したんだろうか。日本の文化が危険だった。
NHKスペシャルで『映像の世紀』とかありましたよね。映像と共に流れる加古隆のメロディーがなんとも感情を揺さぶれる。気が遠くなるほど切なくなる。

NHK【映像の世紀】より「オープニングテーマ」(パリは燃えているか)/音楽:加古隆https://youtu.be/gLu5dhkHkbs?si=DXr19tB6pT8fjPNr @YouTubeより
20世紀は激動でした。しかし21世紀も激動です。それは幕開けの9.11から始まり中東でウクライナでコロナで、そして欧州で揺れ動いている。それをメディアは報じない。戦前のように、そして私たち一般国民は気づかず無関心で無関係を装っている。
歴史は繰り返すといわれるが、そんな迷信じみた愚言は真っ平ごめんだ。

時代は確実に変わろうとしている。うねりをあげて。ドイツでもフランスでもイギリスでも仕組まれた運命とやらに抗い立ち上がっている。人間の叡智を賭けて。時代の流れはどちらに転ぶかはそれぞれの国民の意志次第。
政治に無関心であっても無関係ではいられない。
まだ、日本は間に合う。
現実逃避はいいかげんにやめて、向き合いましょうよ。
























