あかんたれブルース

継続はチカラかな

GHQが恐れた文豪J.

以前、泉鏡花の『婦系図』に家族主義vs個人主義が埋め込まれている意外を話しました。ここでいう家族主義は前時代的封建的なニュアンスであり、前者は欧米的自由主義のバイアスがある。敗戦戦後この個人主義はますます優勢を極めてリベラルの台頭要因のひとつにもなった。

谷崎潤一郎を耽美派作家からデカダン作家と括るものもあります。確かに谷崎は美を追求した個人主義者のようではありますが、『細雪』『台所太平記』からすれば家族主義以外の何ものでもない。のではなかろうか。と

あの優しい眼差しは太宰治にはない。

それは血縁より広い(擬似)家族主義ともいうべき包容力でした。何でだろうなと考えるに、実家の家業が傾いてからも恩師や友人に助けられてきた体験からのものではないだろうか。前妻への仕打ち等はこの際、正直とか未熟としてですけどね。誰も谷崎に完璧など求めていないでしょう。

個人主義vs家族主義には自由主義というまったく別次元の要素が絡んで歪曲されている。といか、双方がもともと対立論争にはならない。その問題点は家族主義に対するネガティブな括りつけにあったとも思います。

谷崎潤一郎はもっともノーベル文学賞に近かった作家であり、それを逃した文豪といわれる。その理由に作品に政治的主張がなかったからともいわれてる。

そうかなあ。。戦時中『細雪』は政府軍部から弾圧を喰らって執筆困難となりました。戦後はGHQからも圧力があったという。このGHQという点が曲者だ。

米国が日本をもっとも恐れたのは技術力、知能、勤勉さ以上に「家族主義」という結束力ではなかったか。それは東アジアの血族ではない。家族から地縁、組織、国家にまでひろがる日本人としての連帯意識じゃなかったか。

犬のように嗅覚の鋭いGHQは『細雪』にさえも危険を感じたのではないかと。

『細雪』は滅びゆく日本の関西の文化をある没落上流家庭の物語として綴ったものです。そこに日本的家族主義を察して警戒したとすれば、当時共産主義に被れていたGHQもなかなか観る目?鼻かな? が、あったことになりますね。

さてそれから80年。

個人主義は全世界に蔓延し尽くして現在の混迷を招いている。新自由主義とか様々に名を変えて

人権とか、差別とか、自由とか、

雇い主にあたる蒔岡家(千倉家・谷崎家)は奉公人に対するケジメ(区別)はあっても差別があったか?

それぞれが上手く折り合いをつけて共生していたではないか。

と、思いました。

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