あかんたれブルース

継続はチカラかな

日露戦争で活躍したのは士族ではなく百姓

 どうもうまく書けない。寝覚めが悪いとはこんな感じです。
 本当に起きちゃった。
 102番目を削除しようかと思ったのですが、追加表記ということで思いとどまりました。

 日露戦争の多くの兵士たちの活躍を武士道と位置づけることに異議あり

 というのは明治の軍隊は徴兵させた平民構成の軍隊です。その多くが百姓です。
 最後の内乱、西南戦争は薩摩士族と百姓の軍隊の戦いで後者が勝ちました。
 士族は平民軍隊をなめきっていたのです。

 士族たちは軍隊を選ばずに警官を選びました。
 兵隊と警官の仲の悪さも階級意識差別意識からのもので喧嘩が絶えません。

 軍隊に進んだ士官候補生は薩長でも若くて他に行き場がなかった者達です。
 藩閥以外ならなおのことで秋山兄弟などその例はつきません。
 勉強したくてもその学費がない。軍隊ならタダであり、給料が貰え早く自立できる。
 これだけです。

 士族でも切羽詰まったという篩いにかけられた者達が残り、やがて階級を上げていきます。
 勿論、そのなかで薩摩長州出身が有利だったことはあるでしょう。
 また、上級者ならば維新の功績で既得権益を得た者もあったでしょうが、
 西南戦争までの内乱と海軍ならば山本権兵衛の大リストラによって淘汰されていきます。
 時間軸の問題もあるでしょう。
 日露戦争の師団長旅団長クラスで特別問題のある人物を私はあげられません。奇跡ですね。

 児玉源太郎も軍曹から出発しました。同期に後に総理大臣になる寺内正毅もいます。
 乃木はその道を選びません。一旦軍を離れ、長州・薩摩閥の力で少佐から再出発。
 桂太郎は留学に逃げました。目端が利いていたのですね。
 藩閥に位置する者で最初から軍隊を選んだ者たちは不器用な若い人間たちです。

 まあ、陸軍=長州。海軍=薩摩。というのはあったことは認めての話です。

 どこにもエリートは存在しません。
 軍隊のエリートは陸軍大学の誕生からでその3期あたりからではないでしょうか。
 日露戦争では佐官あたり、松川敏胤大佐(満州軍総司令部参謀作戦課長)とか
 大庭二郎大佐(第三軍司令部参謀副長)などがそれにあたります。
 海軍も海軍兵学校出身で島村速雄以降の中佐あたりでしょうか。秋山弟などの世代からです。

 明治の奇跡は武士道からではなく西洋合理主義(テクノロジー)を
 日本人の特性(これを武士道と解釈してもいいのでしょうが)にプラスしたものです。

 この奇跡はその結果からやがて奢りに変わって。階級エリートたちがそれに拍車をかけます。
 陸軍士官学校の主席卒業生は陸軍大将のポストを約束されます。
 成績のよいエリートじゃだめなのです。そこに真とつけてもダメ。
 組織は誕生した瞬間から老朽化していくのも宿命です。
 この奢りとエリートたちが太平洋戦争の敗戦につながっていきます。