あかんたれブルース

継続はチカラかな

明治という近代国家黎明時代の藩閥政治の意外な産物

 明治維新とは文化革命と外圧によって達成されました。
 その明治という時代を支えたものは武士道ではありません。
 50歩譲って、武士道をみとめたすればあとの50歩は西洋合理主義との結合です。
 武士が望んだ理想は明治維新後に勃発した士族の内乱、最終的に西南戦争西郷隆盛
 すべて引き受けて木っ端微塵だったのです。

 残ったものは不平等条約と慢性的な金ケツ病だけ、外圧も以前健在です。

 それをなんとか堪えたのが常に批判される「藩閥政治」なのでした。
 この状況ではこういう仕組みでなければ国家運営は困難だったことでしょう。
 自由とは大変なものです。
 それが明治時代という近代国家黎明期には薬が強すぎたのでしょう。

 それを一番苦慮したのが他ならぬ長州出身の伊藤博文です。
 彼は立派な政治家です。日本最初の首相ですが日本一の政治家ではないでしょうか。
 
 薩長土肥で推進した明治維新ですが明治政府が樹立されると薩摩長州がその実権を握り、
 土佐は自由民権運動に奔り、肥前大隈重信は土佐の財閥三菱と結びます。
 明治を語るうえで薩長の「藩閥政治」は大いに批判されるのが定番ですが、
 私はそうは考えません。

 藩閥政治のルーツをたどれば
 薩摩は「加治屋町」というひとつの町内であり、長州は「松下村塾」という私塾です。
 けれどもこの存在がなければ
 伊藤博文も生まれず、西郷従道山本権兵衛なので人物は生まれませんでした。
 そして、児玉源太郎も生まれなかったことになります。

 明治を語ろうとして杉山茂丸の紹介をメインにするつもりでしたが
 武士道復古が出てしまったので一番分かりやすう明治の救世主を登場させたいと思います。
 この明治時代を通して最大の危機といえば、御存知「日露戦争」です。
 これには誰も異論はないはずです。
 それを最大の焦点として、近代国家日本の最大の救世主といえば、児玉源太郎しかいない。

 では、この希代の戦略家たる児玉源太郎はエリートだったか?

 まったく違う。その対極にある人物です。
 そこに「真」という言葉をつけても矛盾を生じるでしょう。

 彼こそが杉山茂丸とふたりだけで秘密結社をつくり、日露戦争を勝利に導いた日本の救世主です。

 児玉には乃木希典という親友がいました。
 武士道というならば、この乃木こそ、その武士道精神を貫こうとした人物かもしれません。
 この二人の考え方や行動原理はまさに対極です。

 児玉、乃木、そして、杉山を引き続き語っていきたいと思います。