「俺の親友になってくれ」
小学校三年の下校途中に新ちゃんに言われました。
それから私と新ちゃんは親友です。
奇妙な親友関係で中学の時はクラスが別で3年間交友が途絶えました。
高校で同じクラス同じ野球部でまた濃厚な交友は復活。
彼が浪人時代にまた途絶え、一浪後、商船大学入学による上京からまた復活。
お互い社会人になっても途切れ途切れでも不思議と関係は途絶えません。
疎遠になっても頓着しない。これも親友の証なのかもしれません。
私たちの街には水産高校があって、ここの無線科に入るのがひとつエリートでした。
まだ、船乗りというものが「稼げる」という神話が残っていた時代です。
オイルショックと為替変動からその神話は消滅します。
私は乗り物酔いが酷いのと船乗りだった父の反対もあって、別の選択をします。
県内の公立大学から教職の道を進むのがもう一方の輝ける栄光でした。
それか、市役所に勤めるですかね。
当時の地方の選択肢とはこんなものだったのです。
結局、私の方はそれとはまったく違った方向に進む結果となるのですが、、、。
もうひとつ、中学から高専に進むというものがあり、
何人かの友人が全寮制という環境へと旅立ちました。
高校時代の三年間の新ちゃんの愚痴は自分も高専に行けばよかったというものでした。
モラトリアムに漂った私たちの高校生活は身を持ち崩したならず者のようで、
新ちゃんは高専に進んだ友人の話を羨ましく聞き、それを私に熱く語ります。
彼は今度は確信犯として商船大学の進学を選びます。
入学当初の新ちゃんの目は輝いていました。
1年から4年の4人部屋のカースト制寮生活を苦労という衣を付けながら
面白おかしく熱く語ります。
とにかく酒の洗礼をどうやって凌ぐか。
私も何度か門前仲町の同校の寮に招待されました。
恐いはずの先輩諸兄はみな優しく、男気の溢れる頼りがいのある海の男候補生でした。
新ちゃんが3年の後半でしょうか。
「俺は船乗りにはなれない」と、突然言い出します。
訳を問うと、
自分は船乗りに憧れてこの学校を選んだ。けれども、自分の倍もいやそれ以上に
船が、海が、好きな連中が沢山存在する。自分がどんなに勉強しても
到底、そんな船が海が好きで好きで堪らない連中には勝てない。
それとは別に海運業の不況から就職の場自体も小さくなっていたようです。
彼はあんなに船や海が好きだったったのに、自分の志に引け目を感じてしまい、
自分からその道を断念してしまいます。
不器用な男ですが、正直なところもあって、善し悪しは別に私はそんな彼が好きです。
その後、新ちゃんは船舶業界の営業職に進みました。
昨年暮れに7年ぶりに池袋で再開しました。
待ち合わせの場所でクマの縫いぐるみを着たような新ちゃんが立っていまいた。
酔っぱらうと相変わらず訳の分からないことを宣うコンコンチキですが、
苦労人だけのことはあり、なかなかの大人の職業人です。
酒をかたむけながら、ふと、彼の船員服姿を見たかったなあ。
と思うのでした。