戦争、差別、不正、教育、環境問題を考えると多くの矛盾が生じてジレンマに苛まれます。
個人と社会。
つきつめれば、感性と知性の絡み合い、もつれ合いなのでしょう。
「国家の品格」で藤原さんが言ったのは今現在が片っ方に傾いているから
「情緒」という感性の復権を声高に提唱した。ただ、それだけ。
今年の正月番組。
毎度の民放のおふざけ喧噪にうんざりして、
チャンネルを替えると池波正太郎を特集した番組有り。
池波さんの提案する考えは「いい加減」というものだそうです。
ちゃらんぽらんという意味ではなく、程良い加減というニュアンスです。
障害者自立のためとか、高齢者の税金、子供の教育などなど、
別に悪政を施行しようと思ってのことではないのでしょうが、蓋をあければ問題多々。
裏金、談合、人権擁護という名の人権蹂躙などなど、
ああ、鬼平はいないのかと思うところが池波さんの人気の根強さなのでしょう。
原則論という言葉を忌み嫌った時期もありました。
それにマニュアルや形式主義の問題をつなげたからでしょう。
それでも矛盾のジレンマからポッカ~ンと考え考えしていくと、
この「知性(智)」と「感性(情)」の対立構造に行き着くのです。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくいと嘆いたのは夏目漱石。
何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬ事ばかり♪ 歌ったのは鶴田浩二。
原則論が強すぎると役人が裏金を作りたくなるのも実は理解できます。少しだけね。
予算は使い切らないと来年は減らされる。とか。(据え置き報奨制度とかダメですか?)
公共事業入札落札の行方に途方もない不安を感じて談合に奔ることも想像できます。
コンペっていうのも問題ありますからね。(安けりゃ良いのか君、技術も認めよ)
犯罪者を弱者と位置付け一元的な凡例の構築に抵抗するのもわからんではないが、、、。
鬼平・長谷川平蔵はいないのか! と声に出してしまいます。
なんでこう杓子定規なのか。
真ん中はないのか! なに?折衷案? いやそういう意味じゃなくてさ。
結局、紀元前の頃から「法家」と「儒家」の戦いであって、
性悪説と性善説の戦いなのでしょうか。
人間というものは、さほど信用に足ものではないと。
立派な長谷川平蔵だけならいいのですが、
抜け目のない長谷川平蔵が登場してしまうこともあります。
その目的が私腹を肥やすものではなくて陰徳にあったとしても、民衆は許さない。
民衆は聖人を求め、常に騙される。
いい加減、、、。
美男美女を求めず、十人並を求めよ。ということか? それも何か違うような、、、。
今回のタイトルは「ミスターグッドバーを探して」から捻りました。
代案キートン。常に成り行きです。(待て