さて、女神あれば、悪女もおります。
お隣、中国四千年の歴史は腐敗と反乱と悪女の歴史といっても過言ではありません。
「中国悪女列伝」で全集ができそうですね。
日本にも悪女と称号を与えられて女性はたくさんいますが、
近代史においての代表選手は高橋お伝となるはずです。
「毒婦」と謂われてますから、悪女と云うよりもう少し身近で遠いでしょうかね。
でも、この高橋お伝の関連書籍を読んでみると、そんな毒婦でも悪女でもないよ。
と、かばってやりたくのが人情ではないでしょうかね。
お伝は1848年群馬県で生まれ、高橋浪之助と結婚。夫婦で横浜に流れ、
浅草蔵前で古物商の強盗殺人事件で逮捕。
八代目山田朝右衛門(最後の人斬り朝右衛門の最後の仕事)によって斬首されました。
1879年ですから享年は30歳ぐらいでしょうか。
男好きのするいい女だったようです。それが彼女には禍したか、、、。
お伝が夫・浪之助と故郷を捨てて横浜に向かうのには理由がありました。
彼女の夫が業病といわれるハンセン氏病を発病したからです。
この病への偏見差別は凄い。『砂の器』以上の現実があります。
なぜ、横浜に行ったか? ここにヘボン式英語で有名なヘボン先生がおりました。
あの高橋是清や林菫(ただす。日英同盟締結の駐英公使)などが英語を学んだこの先生は、
本業は医者。
眼科が専門ですがハンセン氏病治療にも定評があるとの噂から二人は横浜に向かった。
泣かせるじゃないですか、ここでお伝は夜鷹(路上売春婦)になって、
夫・浪之助の治療費をつくるのです。そして、夫は帰らぬ人になる。
その後、お伝には新しい恋人が出来きます。そして、古物商殺しに続く、、、。
彼女をモデルにした芝居や小説・映画がたくさん作られ、
彼女は毒婦と宣伝されていきました。
そりゃ殺人はよろしくない。
まあ殺したのはお伝の体目当ての強欲な狒狒爺ですから執行猶予とか。(こらこら)
まあ、そうもいきませんかね(涙)。
お伝はね、上の写真でわかるように美人でした。男どもが放っておかなかったんですね。
毒婦とか悪女とか魔性の女とかは男を翻弄するものです。
けれども彼女は自ら翻弄された可哀想な女だったんではないでしょうかねぇ。