あかんたれブルース

継続はチカラかな

たとえ女性が薄情でも、たとえ私は踏まれてもペンペン

 と、いうことで男と女のどちらが薄情か?とは別に、
 その選択権を握るのは女性にあるのではないか?という意見が出ました。(自己申告じゃないか

 ○ 結婚しない女、結婚しない男。 結婚できない女、結婚できない男。 

 男女差別、女性の社会参画、雇用機会均等法などなどを踏まえても

 ● 結婚しない女>結婚しない男  結婚できない女<結婚できない男

 という図式はありませんか?
 最近は「負け犬」という言葉もありますが(これは女性から女性に対してですからね)
 女性の方が男性よりも結婚に対する意識や期待は薄いのではないか?

 平安時代の頃の結婚の形式は「通い婚」でした。
 女性は複数の男性とお付き合いしていました。
 子供ができれば、女性が引き取る。血統は母系が主体なのですね。
 ユダヤ人と同じだ。

 印度から発した仏の教えでは、
 「女三界に家なし」と謂っている。(非道い!
 お釈迦様なんて「大小便を詰めこんだ女」なんて言っている。
 男女差別も甚だしい。いったい誰から生まれて来たのやら。(糞だらけで

 それでも中国はみんなの好きな男女別姓ですね。

 ところが、こういちさんが論破するところでは、
 女は人間として認められないので夫の姓を名乗ることを許されない。ときたもんだ。

 仏教はインドから中国を迂回して我が国に渡来してきました。

 その割りに、日本では女性に対しては低姿勢だったのではないでしょうかね。

 なぜ? 天照大神が女神だったから? 女性の天皇も多かった。卑弥呼のせい?
 戦国武将のバックには女房の力あり。とか?

 何にしてもすべての決定権、
 食事も購入車の車種も結婚も女性が握っているケースが多くないですかね。

 女性のほうが薄情なのは情に流されてはいけない使命があるからでしょう。
 その使命を行使するための決定権を彼女達は握っている。

 そして、男はペンペン草の中でペッシャンコのカエルです。ね、ガボさん