あかんたれブルース

継続はチカラかな

野郎どもと汽車と眩しい女

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明治イイ女列伝(3)お倉-5
明治の黒幕赤組横綱(5)番外始末記



 「男と女の友情」の課題に考えあぐねておりましたが、
 なんとかお倉のケーススタディをアップできて一安心したところです(笑)。

 この厄介な友情には条件とか展開とか環境に左右されますが、
 一番大切なのは個人の資質にあるようです。

 友情にも恋愛にも生き方にも「格」があります。
 
 競馬で言えば、地方と中央、未勝利馬と条件馬とオープン馬の。
 極めつけはポニーとアラブとサラブレッドの差。とかね。

 だから相手の容姿や年齢差などを含めて、
 先を思いやるれる人だと逆に「ある」とは言い切れない。わけです。
 相手に対して、異性としての魅力を否定(宣言)することに躊躇する。
 これも優しさですね。

 反対に「ある」と息巻く人には
 理想に対しての苛立ちがあり、そこに若干「自己愛」が勝っている。

 「ない」と言い切る人には風雪による現実の傷があり、決して口に出してはいけない戒めがある。

 とかね。
 人それぞれです。あってもなくてもどっちでもいいと書いたのは、
 そんな人たちのそれぞれの思いを想像空想妄想したところからでした。健気で切ない。

 この件は「愛の行方」に連動するので引き続き考察を続けます。

 さて、お倉。
 結論的に彼女は「いい女」でした。一流と言っていいでしょう。
 競馬で言えば名牝。ダイナアクトレスですかね。古ッ
 高橋お伝はコバンザメ。(グッドルッキングホースの条件馬。あれ?牡馬じゃなかったか?)

 お倉が政財界の社交場の女王に君臨したことを「運」とかたづけるのは簡単です。
 けれども、そのステージに一気に三段跳びで乗っかった場合には、
 途方もないプレッシャーがある。これ人間の生理である。

 お倉にはそれがありませんでしたかね。
 それをお倉の資質や才能と解釈するのもよし。
 また、亀さんの存在があって、彼女はそれしか念頭になくて、必死だった。
 彼女の向上志向は生臭いものではく、持ち前の義理人情が政財界のトップたちの琴線に触れた。
 ま、自分流で好き勝手やれる性格と資質がツボにはまったってところでしょう。

 それと、もうひとつ。
 お倉が不良少女で遊女芸者あがりの蓮っ葉な遍歴があったとしても、
 それを取り巻いた野郎どもの素性なんて、

 伊藤博文は士族以下の足軽中間の出です。山県有朋もね。井上馨は死に損ない。
 三菱の岩崎弥太郎は下横目という最も卑しめられた官吏でした。(それ以前は地下浪人)
 貧乏侍と「どん底」を経験してきた相場師たちです。

 人間なんて裸になればそう変わらない。なんて考えが共通してあったんでしょうね。


 もう一丁、この明治を動かしていた野郎どもたちは、なぜ横浜に集ったのでしょうか?

 当時、横浜が経済の中心だったから? それはあるでしょう。それだけ?

 東京で会合密会すれば人目につく? そんなの横浜まで行く方が目立ちますよ。

 答えはね、「汽車に乗りたかった」から

 鳥居民『横浜富貴楼 お倉(明治政治を動かした女)』
 この最後の頁あたりでいい事を書いています。(途中には推理の暴走がありますが)

 指導者たちは常に自信ありげに振る舞っていた。
 けれども、自信なんてホントはこれっぽちもなかったと。
 無我夢中で維新を駆け抜けて生き残り、なんかのはずみでこんな立場になっちゃった(汗)。

 俺に出来るのか? 出来るかなあ?

 周囲は常に「やめろ」と囁きます。でもやらないといけない。

 正しいのか? 間違ってないのか?

 プレッシャーに苛まれる。それでもやらなければならない。

 そんな時にね。新橋から汽車に乗るんです。横浜まで。

 横浜まで58分。つい最近まで参勤交代をやってて、みんな徒歩だったんですよ(涙)。
 その鉄道に揺られて、六郷川を渡るときに遠い日の記憶が蘇ります。
 そして、
 俺は間違ってなかったんだと、
 野郎どもに自信が戻ってくるのです。

 「弱気を吹き飛ばし、自信を取り戻そうとして、みなさん汽車に乗りました。
  鉄道を建設したのは間違いじゃなかった、学校を建てる、橋をかける、道路をつくる、
  港をつくる、工場を建てる、これは間違っていないと考え、自信を回復なさって、
  横浜に着きます。」            (本文抜粋。現存するお倉の肉声テープから)

  横浜には「富貴楼」があり、お倉がいました。
  小股の切れ上がったいい女です。眩しい女だったでしょうねぇ。