あかんたれブルース

継続はチカラかな

終戦記念日に思う

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 今日は終戦記念日です。

 今年で62回を数える。戦争体験者の高齢化から、それを伝える方々もやがていなくなってしまう。

 NHKのBSで特集を組んでいました。

 とは別に、
 戦争責任という問題を一部の人間に負わせて「総括」などという姿勢には疑問を感じます。

 確かに、「玉砕」とか「特攻」とか聞くと胸が痛みます。
 実際に一部の指導者の間違った判断があったのも事実で、
 私はそれを擁護しようなどとは思わない。

 けれども、あの戦争には「雰囲気」というものがありました。
 国民の多くがそれに流されたということを忘れてはいけないと思います。
 私たちは非常に流されやすい。従順な民族です。

 形を変えて今もそれは変わりません。

 そしてなにより、無関心で、無責任で、無知です。漠然とした不安に怯えている。

 「沖縄の島唄を右翼が歪めた解釈をしている」
 と、あるブログで危機感と警告を呼びかけていました。
 でもね、今、右翼なんてなんの力もありません。誰も相手にしない。
 右翼は堕落してしまったのです。信用がありません。
 そして、右翼団体の多くが「在日」である現実をどう解釈しますか。

 だから、過剰反応する必要はありません。

 沖縄戦の民間人玉砕には恩給の問題も絡んでいます。
 また、軍人でも兵学校出身の職業軍人と招集された民間からの兵士では意識も異なるでしょう。
 ひとくちにこうだった。と、言えない難しさがあります。

 それでも日本人は雰囲気に弱い。もっと言えば「お金とか経済」に弱い。
 その意味で大東亜戦争は軍事バブルだったと言えます。

 株式投資でも人生でも「相場観」というものが大切です。
 自分なりの「相場観」を持つことは知ることと経験しかありません。

 いま、幸いなことに日本には戦争はありませんが、年間3万人の自殺者が存在する。
 これも、また戦争のようです。毎年毎年3万人を超える犠牲者が増え続ける現実。交通事故とは別に。

 あの太平洋戦争だって、誰も米国などと戦いたくはなかったのが本音。
 石油の7割りを輸入している国と戦争しますか?
 その意味で、最初から居心地の悪い状況でした。
 すべてに矛盾があり、無理があった。原則論だけで本音が押さえられた。

 あの山本五十六でさえも躁鬱病だったと云われています。

 特攻隊員がすべて「天皇陛下万歳」と言って死んでいったわけではありません。
 そういう狂気の暴走から、そんな環境と雰囲気になっていて、仕方なく言い聞かせて死んだ。
 南方でも絶望から生きることに疲れて死を選んだ人も多かったでしょう。
 
 雰囲気に流されていけないよ。常識なんて、その時々で変わります。

 上の写真は沖縄戦で米軍が撒いたビラです。
 すでに思考能力を失った兵士が、そのビラにあったお寿司の写真を見て、
 「もう一度生きて、人間らしい生活がしたい」と、彼は投降しました。

 フィリピン戦も沖縄戦も戦術・戦略的意味はありません。
 敗戦を延ばしたかった。そうすれば有利な講和が結べるかもしれない。それだけのため。
 前年のマリアナ沖海戦の完敗で、負けは決まっていたんです。