静岡県の牧之原。ここは田沼意次の領地だったところでもあります。
戊辰戦争の後、官軍に破れた幕臣たちは路頭に迷いました。
その数、約3万3400名。これに家族も足されるから相当な数です。
幕臣だけで、ですよ。新政府は薩長が牛耳ってしまっている。
全国には諸藩の士族が存在します。ここに明治維新の戦後処理の大問題がありました。
西郷さんが「戦がしたりもはん」といったのは、このエネルギーをどうするかにあったかと思います。
産業らしい産業なんてないのです。土地、農業に考えはいきます。そんな土地あるの?
北海道とかそれまで手つかず「開墾」ということになります。
この牧之原に中条金之助をリーダーする旧幕臣たち数百人が入植しました。
中条金之助は精鋭隊の隊長で江戸城無血開城の時に切腹を決意しますが、
勝海舟の説得で、この牧之原に向かいます。そして、土に生きる覚悟をする。
福沢諭吉は勝海舟のことを批判するが、とんでもない。
勝や山岡鉄舟はこうやって旧幕臣の世話をしていたのです。
武士が刀を捨て、鍬を握り、土に向かう。大変な作業だったようです。
貧窮、脱落者、先住農民との争い。世間から忘れ去られた民人たち。
現在の静岡茶の存在にはこういった旧幕臣たちの努力を無視はできません。
そして、維新後の影になって彼らを支援した勝海舟。
息子の留学資金に貯めておいた二千両を彼らのために使います。
そのことはあまり歴史では語られない。
黒船が来て、いい加減な幕府を薩長が倒して、明治維新となった。
の間には色々なストーリーがあるようです。
人物批評も表だけではなく、裏から横から上から下から、観察してみる必要がありますよね。