あかんたれブルース

継続はチカラかな

武士道イメージ戦略

「いい加減」のお腹と背中(7)




 昨日もどこかで「武士道」を引き合いに結論付けるコメントを目にしました。

 精神病理のなかで「自律神経失調症」というのが
 とても便利な言葉だとして揶揄されますが、
 この「武士道」も閉塞感に満ち溢れた現代社会にあって都合のよい言葉です。

 武士道。騎士道とは違うけれど似てるか?
 でも騎士道だと一応は貴族だし、武士道だと士族なのかな軍人なのか。

 昭和12年の廬溝橋事件のときに、
 関東軍参謀副長だった今村均は中国一撃論の意見書を持って
 不拡大派の石原完爾(参謀本部第一部長)の説得に派遣されます。

 その時、河辺虎四郎(戦争指導課長)は今村に対して

 「あなたは満州事変当時拡大には反対したではないか。
  今、石原部長はあのときとは逆に拡大に反対されている。
  それなのにあなたが拡大の意見書を部長に渡されるというのは、
  部長を苦しめることにもなり、
  それは『武士道』の上からいってもおおいに遺憾に思う」

 と諫めたといいます。

 良識派は海軍だけではなく陸軍にいました。
 ここに登場する3人は三者三様ではありますが、それぞれ陸軍の良識派です。

 その河辺虎四郎のくちから「武士道」という言葉が出た。
 これは少し見逃せませんね。
 河辺はポツダム宣言を受託したときの参謀本部次長であり、
 武士のような気構えをもった昭和陸軍の系譜にある軍人です。

 でも、それでも「武士道」は個人的なスタンスの域を出ない。
 河辺自身も相手が今村均だったから「武士道」という言葉を使った。

 武士となにか?

 かつて、「古武士のような」と言われた軍人がいました。
 『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山好古がその人です。

 彼は陸軍大学2期生。安政6年(1859年)の生まれです。
 それでも「ような」である。
 つまり、明治の軍人には「武士」はもう存在しなかった。
 だからこの時点から既に、「武士道」はイメージ的なものだったわけですね。

 因みに、河辺は陸軍大学の33期生です。31年のひらきがあるわけだ。

 私は軍(武)人=武士(道)? としましたが、それもニュアンスが違うようですね。

 私は秋山好古ほど武士道バイブル『葉隠』を体現した人物はいないと考えます。
 その『葉隠』のなかに「忍ぶ恋」というものがある。
 それを男色是正スローガンと訳す識者もいますが、少し違いますね。

 軍人というものは有事でこそ働きの場はありますが、
 平時には厄介者で、常に「忍」ばなければならない。

 あの猛将・黒木為禎日露戦争時第一軍司令官)はこう言った。
 「戦争とは済んでしまえばつまらないものだ、
  軍人はそのつまらなさに堪えなければならない」

 また戦後、吉田茂防衛大学一期生にむかって
 「君達は感謝もされないし、尊敬もされないだろう」と激励した。

 明治維新によって、武士は消滅しました。
 それ以前に武士道というものが存在していたかどうかも曖昧です。
 日露戦争から昭和の暴走と大破局のなかで、
 「武士道」というものは非常に個人的な生き方流儀であり、現実的には無力だった。

 それ以上に、イメージが先行していたともいえるでしょう。

 私は決して「武士道」というものを否定はしません。

 けれども、ここにきて「武士道」という言葉が曖昧なまま熱をおびて、
 渇望されることに、ある種の危惧を感じます。

 大ベストセラー『国家の品格』の影響なのかもしれない。
 無責任な著者・藤原正彦

 実態のないもにそこまで熱望する安直さが恐い。
 どこかで必ずしっぺ返しを喰らうような御都合主義に思えてならない。

 ヒューマニズムとか倫理観とかいうことでのニュアンスなのだとは思います。

 言葉やイメージは恐いものです。

 「人命は尊い」「一人の命は地球より重い」同様に、
 耳に心地よい「武士道」という言葉が、決めゼリフになることを危惧します。

 そんな安直なものじゃない。