笑う馬(2)
人を泣かせるのは才能などいらない。どんな辛い思いをしたのか。
どんな涙を流したかを記憶していれば泣かせるのは簡単。
でも人を笑わせるのは神さまからもらった天性。
そして、涙を知れば知るほど笑いは深い
(浅田次郎『待つ女』より)
子供達たちは成長するなかで、勉強やスポーツで認められようとします。
小学校も中頃になると、もうひとつ「お笑い」という選択肢も増えてくる。
人気者になりたいわけだ。要は(笑)
我が家では、Kちゃん(息子)に対して、それを固く禁じております。
私の子ですから、その資質を大いに受け継いでいることでしょう。
だから、こそ。「お笑いに奔るな」と戒める。わけだ(汗)
子供の「お笑い」はまだまだ稚拙で、テレビやCMの模倣の域を超えません。
私たちの頃がドリフとかだったように、今でもお笑い芸人のそれが
やはり、お手本になるのでしょうかね。
「笑い」は人生において、とても重要なものです。
だからこそ、センスのある上質なものであって欲しい。
少なくとも、自分の息子には、「笑い」のセンスに深みをもって欲しいと願います。
欧米の笑いには「エスプリ」と「ユーモア」があるといいます。
私は、ハリウッド映画のユーモアが好きでした。
なかでも戦争映画などで、極限状態に追い込まれた野郎どもが放つ、
その時のジョークが好きでした。
そういったものは、民族や文化を問わず、共通してあるようです。
息子には、宴会一発芸とかお手軽な模倣芸ではなく、
沁みるような「笑い」をもつ人間になって欲しいと願います。
そんなことを風呂場で語っています。
真にすぐれたものは、
享受者を感心させるものではなく、
笑わせる、幸せにさせる。
(浅田次郎『プリズンホテル』(4)「春」より)