あかんたれブルース

継続はチカラかな

思い立ったら吉日

「いい加減」のお腹と背中(8)




 長々とああでもないこうでもないと武士道について混ぜっ返してきましたが、
 ここでようやく自分なりに考えがまとまってきました。(まとまってなかったのか!)

 武士道って、非常に個人的なもので、
 所謂「ダンディズム」なんですね。

 それは思想とか国民的な在り方ではない。

 だから、それを現在の日本人の在り方に持ってこようという方法論に
 私は違和感を感じたんだな。

 それは、このブログで再三警告を鳴らす「個人主義」とも連動しやすい。

 というもの、個人的な生き方である武士道には「政治力」がありません。

 これは、武士道に「美学」があるためで、「政治」と相反する性質があります。

 武士道には良識派のひとつの特徴であるようです。

 旧帝国陸海軍の良識派たちには、この武士道があり、
 と同時に政治力がない。結果として、歴史を正しく導く力がありません。

 酷い言い方ですが「屁の突っ張りにならない」。

 海軍良識派といわれる米内光政・山本五十六・井上成美も
 陸軍良識派たちもすべてこう言われても過言ではない。と私は言いきります。

 彼らは人間として、軍人として、戦術家としては一流だったかもしれませんが、
 戦略家としては、一流だったとは言えないのではないか。

 これは暴論でしょうか。

 これには「武士道」というものに、いやそれ以前に日本人のなかにある
 「恥の文化」の存在があると思います。
 また、時代的にいえば、そこに天皇という存在があった。

 いま現在の私たちには、さほど天皇という存在は希薄ではありますが、
 良識派にとって、この「恥」というファクターは大きい。

 それをうまく利用する者達がいつの時代にいて、
 良識派たちは常にそこから無力化していきます。

 「恥知れ」「死ぬのが恐いのか」「臆病者」など、
 そこに前時代は「天皇」という言葉があった。

 武士道の生死観はまた日を改めますが、
 武士道と良識派、そしてダンディズムという個人主義は同じ穴にあるようです。

 だから、今の時代の閉塞感や問題点の解決に
 安易に「武士道復活」を持ち出すのは危険だと思ったんですね。きっと

 すみません、ふと思いたったので
 忘れないうちにと追加記事にしてしまいました。

 武士道は悪くはないのですが、
 特効薬ではなく、処方を誤ると大変なことになりかねない。

 これを言いたかったのです。