あかんたれブルース

継続はチカラかな

古武士から生まれた政治的軍人の皮肉

秋山好古の余談



 秋山好古がふと漏らした言葉のなかに
 
 「 共産主義? まああれはそう悪いものでもないがな 」

 というのがあります。

 かといって、彼が共産主義者だったわけじゃない。断じて。

 当時軍人はドイツに留学するが主流でしたが、
 彼はわけあってフランスに留学。騎兵を学ぶのもそこからです。
 好古はそこで共産主義というものを体感したんでしょうね。

 彼は福沢諭吉の思想が好きで、子供達はすべて慶應に入れました。
 軍人にはしなかった。
 
 好古は軍人として単純に生きることを極めた人間でした。
 従って、政治的な発言等は一切しなかった。

 ただ一度、黒溝台の戦いでの参謀本部の姿勢には我慢できず、
 後輩の作戦部長だった松川敏胤には苦言を呈した。
 対する松川の態度が悪くて、怒りました。

 この黒溝台の戦いの前に好古はロシア軍後方攪乱のための挺身隊を出している。
 永沼挺身隊が有名ですが、その他にも長谷川第二挺身隊、建川斥候挺身隊などです。

 彼らは好古の門下生で自らを「弟子」と言っていました。

 その弟子から、建川斥候挺身隊を指揮した建川美次は、
 昭和に入っての満州事変勃発時の参謀本部第一(作戦)部長となります。

 「政治的」軍人として建川の名は知られている。

 秋山好古の弟子から政治的軍人が生まれる。不思議なものですね。