戦争と平和(5)『銀河英雄伝説』から人材について
少し長い引用になりますが
田中芳樹 の『銀河英雄伝説』第3巻 雌状篇 121頁 下段 から
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国家とは、
人間の狂気を正当化するための方便でしかないのかもしれない。
どれほど醜悪で、どれほど卑劣で、どれほど残虐な行為であっても、
国家が主体となったとき、それは容易に人々に許容されてしまう。
侵略、虐殺、生体実験などの悪業が、
「国家のためにやった」という弁明によって、ときには賞賛すらされる。
それを批判する者が、
かえって、祖国を侮辱する者として攻撃されることさえあるのだ。
国家というものに幻想をいだく人々は、
国家が優秀な、あるいは知的・道徳的に偉大な人物によって
指導されていると信じているであろう。
ところが、実際にはそうでもないのだ。
国家権力の中枢部に位置する人間が、
一般市民より思考力において幼稚であり、判断力において不健全であり、
道徳水準において劣悪であることは、いくらでも例がある。
一般市民より確実にすぐれているのは、権力を追求する情熱であって、
これが正の方向に用いられれば、それは政治と社会を改革し、
あたらしい時代の秩序と繁栄をきずく原動力となるが---
それは全体の一割にも達するかどうか。
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なあんだ長編アニメの原作じゃないか。と言わない。
田中芳樹は色々考えて書いています。
「 優秀な人物たちによって、指導されていると信じるが、
ところが、実際にはそうでもない 」
そうなんですよ。実際に。
明治維新から新しい政府が誕生しましたが、
それを維新の功労者という名目で薩摩と長州が国家の中枢を独占しました。
藩閥政治です。
これに反発して自由民権運動が起きます。
藩閥政治は日本の近代の歴史においての弊害とされています。それもそうだ。
明治になって「日本」の軍隊というものも誕生しましたが、
陸軍は薩摩と長州が二分して、実権を長州が握り。(西南戦争のため)
海軍は薩摩が独占しました。ここにも藩閥はある。
日本にとって軍隊が重要な位置を占めていく過程で、
軍隊での藩閥色はやがて薄まり、
(海軍では山本権兵衛の尽力。陸軍では山県有朋の失脚などの影響)
その需要から広く人材を求め、そして優秀な若者が軍人を目指しました。
多くが貧しい者達です。二男三男坊たち。
一見、オープンでフェア。正当な流れですよね。
彼らは試験で篩いにかけられていきます。
しかし、どんな物にも表裏と長短はあるものです。
組織化された軍隊に、自分たちは選ばれたという意識が芽生えていく。
エリート意識ですね。
この究極の極致が陸軍であれば
参謀本部第一部(作戦部)の参謀たちでした。
日露戦争後の日本の軍隊は変容していきます。
そのなかでも陸軍の作戦参謀たちはエリート意識の権化となっていく。
彼らは机上の論理から現実に踏み出すことができなかった。
すべてではないですが、そういう特性を持ってしまった。
「 優秀な人物たちによって、指導されていると信じるが、
ところが、実際にはそうでもない 」
この言葉の意味する重さがここにあります。
エリート意識のなかに大きな落とし穴が存在する。
無論、そうじゃない人物も存在したでしょうが、全体としては少数派で
結局は多数派に押し切られて流されて排除されていきます。
創業時の人材と、組織として固まった時の人材の質の違い。
そして、エリート意識の罠。
少し、この辺りを考察してみたいと思います。