あかんたれブルース

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さよならボクの友だち

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杉山茂丸伝(3)杉山の友だち●星亨[ほしとおる]

 
 私たちが人間関係を構築するなかで、
 とくに価値観の共通点は大きなファクターになります。恋人夫婦でも

 特に思想というものがあれば、その相違は決定的なものになる。
 下手をすれば殺し合いにもなりかねない。
 ましてや杉山の20代前半の頃は「一人一殺」のテロリストだったわけですからね。

 ここに生涯まったく意見も思想もなんにも共通点のない男がいた。

 星亨。

 「押し通る」という渾名をもつ不遜、不徳の自由民権の政治家。


 それは杉山が不遇くすぶり時代の明治21年。杉山25歳の時でした。

 銀座三丁目の裏角の下宿屋で、暇を持て余していた杉山は友人と二階の窓から
 タンを飛ばし合って遊んでおりました(汗)。

 そのタンが階下の往来を闊歩する紳士の帽子に見事着地。
 男は激怒して二階に乗り込んできます。これが星亨だった。

 元々は弁護士ですから弁は立つ。
 当時は自由党の暴れん坊で藩閥政治を揺るがすうるさい論客として名をあげていた。
 
 しかし、屁理屈に関して天下無双の杉山。この星をやり込めてしまいます。

 星が不承不承その下宿を後にして、「あれが星亨か」と素性を知ると、
 自ら、星のもとを逆襲するです。

 ところが、杉山を迎えた星は先程とはうって変わって
 「君、ソバでも喰おう」という。対する杉山は、
 
 「蕎麦なんて嫌いだあ・・・牛かあ・・・鶏なら・・・」

 なんたる不遜! なんたるオチャメ(汗)。

 押し通るもカタナシですね(涙)。
 で、一緒に鶏鍋を食べながら論争のデスマッチの再開。テーマは政治だ。
 ここでもまったく話は咬み合わない。

 ところが、どういうわけか星は杉山を気に入ってしまう。

 帰りの道すがら杉山も不思議に感じます。年齢の差は14歳。
 ひとまわり以上年長の星が、世間の風評とは異なり、こんな若造の暴言を
 ふむふむと聞く度量がある。

 それから星との交際はスタートしました。
 けれども反政党の杉山と星が相容れて協力して事を成すことは
 その生涯一度もありませんでした。

 星は13年の後、明治34年に伊庭想太郎によって暗殺されてしまいます。

   伊庭想太郎は片腕剣士伊庭八郎の実弟。(コメント欄に別注)

 さて、優秀な兄に比べてマスクとオツムがチョッチ足りない想太郎は
 世間の風説をマに受けて、問答無用の「天誅!」。星亨ほぼ即死。

 杉山はこの悲報をニューヨークで知り、
 帰国後、星の悪名高き賄賂銀行「京浜銀行」の後始末にする。

 利害も意見の一致もなく、生涯一度も共に行動したことのなかった友だち。

 不遜で不徳で世間から毛嫌いされていた左官屋の息子(星)に、
 杉山はこんな言葉を残しています。

 
 「 星と云う人は直情にして人好のない、損な性質の人であった。
   強いて云えば、不徳の人であったと云えるかもしれぬ。
   しかしそれは庵主(杉山のこと)代わって一応説明だけはしてやらねばならぬ、
   ナゼならば、今や彼は死んで口を動かぬからである。


   第一 彼は気力才幹、人に超絶していた。

   第二 彼は経倫見渡の早い人であった。

   第三 彼は剛胆不屈の人であった。

   第四 彼は愛想のない顔癖の悪い人であった。

   第五 彼は理性が惰性に勝った人であった。

   第六 彼は境遇を超越した、大望ばかり持っている人だった。

   第七 彼は貧乏であった。

   第八 彼は常にその仕事と、金銭とが一致しなかった。

   第九 彼は常に何物にもタランタランであったから
      物を得るに甚だ急なのである。

   第十 彼の行為には、弁護士生活の薫蒸があったのである。 」

                        『俗戦国策』196頁(星のために弁ず)より 
 
 
 星亨は杉山の大切な友だち だったのだ(涙)。


写真が星亨。どうこの面構え(汗)。これじゃ誤解もされるか。男の顔は履歴書だもんね。
それと星一と混同しないように。タイトルが森田童子でセンチになったな(汗)