ささやかな欲望
あなたを愛している。大切に思っている。
優秀でなくていい。いい子でなくていい。
あなたがいるだけでいい。
一年前に一人息子を亡くした母親のブログがありました。
人間のストレスで一番過酷なものは
最愛の者との別れ。それも永遠の別れです。
そして、嘆き悲しむ者たちは、喪の作業、喪の仕事という
つらい行をはじめていきます。
彼女は、「存在価値」というタイトルの記事をアップさせていました。
>愛されない子は愛されようとして必要以上にいい子になったり、
>無理してスポーツや勉強で親に認めてもらおうとする。
>私もそうだった。でも、限界があった。
>息子が生まれたとき、
>母としての絶対的な存在価値を手に入れた。
>そして、息子を喪い、また存在価値がなくなった。
>だから私は、今必死で存在価値をさがしている。
私たちが求める「存在価値」ってなに?
それは、社会参画とか男女平等とかとは、別な次元のものです。
必要とされること。絶対的な存在。それを求めてやまない。
「欲望」というには、あまりにもささやかで、あまりにも切ない。
それさえも天は許してくれない。
それでも、私たちは求めてやまない。
彼女の息子は大学に入学した年に急逝してしまったのでした。
母親は、息子が学んで卒業することのできなかった大学に、
通信教育の受験を試みます。そして、合格。
卒業には通常の倍の時間を要するそうです。
息子とおなじように、彼の足跡をなぞるように、
法科の教科書に向き合う彼女の、この母親の姿がとても痛く切なく
心を打たれました。
人間は弱い生き物ですが、とても強いものを持っている。
その強さには愛があります。
欲望というには、あまりにも健気なもの。
私たちの存在価値。
>自分の存在自体に価値があると認識していたら、
>息子を思って悲しみだけで静かに生きていけるのかもしれない。
>私は悲しみと絶望とともに、
>母としての存在価値=自分の存在価値を失った喪失感が大きい。
>死にものぐるいで誰かに認められたいと思っている。
>すばらしい、すごい、がんばっていると思われたい。
>犯罪を犯したり、世間に迷惑なことをして認められたいとは決して思わないが、
>どこか屈折している。
お母さん、あなたは決して屈折などしていません。
ヤフーブログ「I have been ・・・ ずっと」より
http://blogs.yahoo.co.jp/studyhard717