あかんたれブルース

継続はチカラかな

どうせお金で泣くのなら、こんな話で泣きたい

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お金の話(4)藤田伝三郎


なぜか杉山茂丸に話が飛びます。

杉山が政財界人とのルートをつくる最初の切っ掛けは後藤象二郎でした。
18歳の頃に大阪で後藤に面会した。
その話はまた別にしますが、
後藤との繋がりで藤田伝三郎という長州の豪商と出会う。
なんだ長州の商人じゃないか。ヘンって。拗ねた杉山青年だった。

藤田は親切な男でした。

杉山も親切にされた。若造なのに。
あれえ?長州人にもいい人っているのかなあ。
藩閥打倒に志を立てた杉山の最初の出鼻を挫いたのは
伊藤博文ではなく、この藤田伝三郎だったかもしれませんね。

大阪毎日新聞(現在の毎日新聞の西日本地区での旧題。通称「大毎」)刊行に
関与しあいます。

時は流れて、12年経った明治30年
杉山34歳。

日本興行銀行の設立に外資を導入しようとする杉山。
しかし、渡米の旅費滞在費諸々が「無い」。まったく、スッカンピン。

で、ふと、藤田のことを思いだして頼みにいきます。

例によって、杉山独特の交渉。
使途はあかさない。心意気だけで金貸せよ!捨てるつもりで。です(汗)。

それでも藤田は納得しましてね。
ここに3000円あるから持っていきなさい。

で、杉山はその使い道を語ります。
日本に工業発展が最重要課題であること、
そのための低利の銀行設立。その資金を外資から引き出すこと。

そして藤田はこう言います。

「それは大変結構なことです。
 自国の経済だけでは、その経済が発展するわけがない。同感。
 で、どうか一言だけ私の体験をもとにした
 アドバイスを聞いてね。

 まずポイントは米国から金を借りるのではなく、金を借りられるように、
 金が米国から貸されるようにするのが、することが肝心です。
 それと、
 あなたは決して金儲けをしてはいけません。
 
 あなたが金儲けをしたら、誰もあなたの言うことを聞かなくなります。」

この言葉が杉山に沁みた。

それからしばらく経って杉山は思いもよらない2万円という大金を手に入れる。
以前、仕事の世話をしたことで利益があがったと手数料として渡された。

先日までは3000円の金が捻出できなくて四苦八苦。
ところが今は2万円もある。大楽勝じゃないか。

ここで杉山は考えた、いや思い出しました藤田の言葉。

まてよお、俺は3000円あれば用を足す。
この2万円は無くてもいい金だよなあ。

で、この2万円を頭山やら親交のある者たちに分け与えた。
みんな四苦八苦していたのです。
借金取りにも渡した。みんな四苦八苦していたのです。
杉山のために破産しそうな九州の知人にも渡した。
そして綺麗に使い果たしました。


そしたらさ、外務省の友人がこう言います。
「君、渡米するそうだけれど、通訳をつれて3000円で行けるか、アホ」

ゲッ! 3000円では行けないの(汗)。真っ青。

そうです。3000円とは杉山のイメージで弾いた金額。
ちゃんと試算したわけじゃない。
(私たちも1000万円以上になると感覚がわかりませんよね)

どうしよう。。。どうしたと思います?

藤田から手紙が届きます。

「拝見、前回は手元にお金がなくて、3000円しか渡せなかったけれど
 いまここにもう3000円用意できたから、送るね。
 気をつけて行ってらっしゃい。がんばって!」

だってよ。参ったね(涙)。

杉山茂丸は感動した。そりゃするよ。人間だったら。

人間杉山茂丸はこうやって出来て往く。

観念論でもフィクションでも坊主の説教でもない。実話です。現実。


 
写真が藤田伝三郎。もっといい写真があったのですが、後で差し替えておきます。