なんかモノ凄く長くなりそうなテーマなので。結論を先に書き込むことにしました。
井上馨が好きです。
実は、山崎拓も嫌いじゃない。
「先生!?」とか「竿師」とか暴露されたけど、なんか憎めない。
井上馨が好きなのは、その辺りが8%。十年で確実に倍になりそうです。
で、これがまた、「吝ん坊」とか「怒鳴りまくり」とかすこぶる評判が宜しくない。
ケーススタディー1)
三井でも大倉でも古河でもどこでいいです。まあ、そこに馨が来たと思ってください。
「ン、ンン?おお、素敵な花瓶だね」とか「なかなかの衣紋掛けじゃないか」とか
まあ、書画骨董茶道具の類ですな。なんか、というか、何でも、気に入ったら
「コレちょっと拝借」となって一生帰って来ない。流石の悪徳商人もこれにはお手上げです。
まあ、そんな意図は馨本人にはこれっぽちもなかったでしょうね。
では、なんで? 私の結論としてはこの時点で「惚け」てたんでしょうね。
アルツハイマーってやつで「痴呆症」が大分進行していた。
よく解釈すれば先の悪徳商人退治ですが。これはちょっと無理がある。
で、ここから馨モンタ君擁護の妄想バブルの始まりです。
あの、維新回天の激動を血風熱血で疾走した好漢井上門多がなぜにこんなにお金に執着したのか?
だいたい人間一人が贅沢三昧するお金って限界があると思うのですよ。
書画骨董の類だってタダで手にはい訳だし、伊藤のように女狂いだったわけじゃない。
いや、そりゃそれでやったでしょうが中井桜洲のカミさんを寝取った関係上大ぴらにはやれない。
山県みたいに造園業に精を出した訳じゃないし、後世に残る企業財閥を構築したわけでもない。
遊蕩の限りを尽くしたといえば光村利藻にトドメ指すわけですが、それでも光村印刷は残っている。
なんか間尺に合わない。結局、彼は鹿鳴館外交しかないんだモンタ。
この世で一番「お金」がかかるものっていったいなんなんでしょう? ときて、はて、それは、
天下国家経営、政治じゃないかと思ったとしましょう。
盟友の伊藤が「女に汚い」ながら「金には清い」と評されて、「金に汚い」とされたのが
我が愛しの井上馨。もしかすると、馨は伊藤の資金源としてパイプ役として、盟友のために
敢えて汚名を着たのではないか?
となると、ドドドドッ、と私の涙腺は壊れ、毛穴は開き、血糖値は軽く500を超えるのです。
二人の友情が生涯続いたという事実からだけなのですが、実際に藩閥政治から議会政治に移行する
中で政治や選挙に非常にお金がかかるようになったのも事実。民主主義って高価なものです。
馨が三井と結ぶのもそんな事情からではないでしょうか。
それを揶揄した西郷隆盛や金権を拒絶した板垣退助と比べ、伊藤と井上をセットで考え合わせると
誠に想いは遙か維新青雲の誓いなのでありおます。
次回は井上が敢えて番頭となった「三井」の段