あかんたれブルース

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お金の法則と行方(其の二)長州閥の三巨頭の素性

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 明治藩閥政治の長州三巨頭といえば、山県有朋井上馨伊藤博文です。
 この順番は藩閥依存度からのものです。

 伊藤は我が国最初の総理大臣です。女狂いが唯一の「道楽」で、聖人タイプではありませんが
 議会政治樹立に情熱を燃やした我が国屈指の政治家と、私は考えます。
 中間・足軽の出で。吉田松陰松下村塾の末席にいたのですが、師の松蔭は伊藤を
 「まあ、それなりの周旋屋ぐらいにはなるだろう」ときわめて低い評価を漏らしたそうです。
 周旋屋とはブローカーとか口入れ屋とかの意味で、世田谷あたりで自宅や敷地を利用して
 アパート経営を営む大家さんが駅前の不動産屋をそう呼んでいる。そんなものです。
 さて、女に汚い伊藤博文ですが、金には清い。という評価もありまして、
 日本の議会制民主主義への情熱は凄味があり、日本一の周旋屋でありました。
 その長州閥も己の保身に利用するのではなく、藩閥政治から近代国家への進歩を願って、
 脱・藩閥政治を構築させることを悲願としたようです。政治家としての手腕も随一でしょう。

 対する、山県は藩閥政治超然主義の権化であり、
 民権運動や政党政治には常に拒絶反応の弾圧で望みました。
 表向きは清廉を装いましたが、戊辰戦争での奇兵隊の給料ピンハネや維新後の山城屋和助事件など
 彼の身辺には灰色の盛り土が魔法陣の如く盛られているようです。ぼた山のように。
 伊藤同様に最下級の中間・足軽出身で物心付いてからその辛酸な体験と環境が
 彼の生き方・在り方に大きく影響したようです。
 伊藤とは同じ長州閥にありながら常に対立していて、また、時と場合によっては手を握りましたが
 伊藤ほどのビジョンはなく、陸軍の法王として、官僚の首魁として、その権力を貪った政治家です。

 さて、井上馨です。彼は松下村塾出身ではなく、高杉同様に長州藩の上士出身で
 長州急進派として、伊藤などと知り合いました。身分制度がやかましいなかで、
 彼は伊藤と気があったのでしょうか「おい、門多」と呼び捨てにされても気にせず
 というか共に命がけの行動から戦友、盟友として、その友情は生涯続きます。

 彼の体に無数に刻まれたのは攘夷過激はの刺客にナマス斬りにされ、急死に一生を得た証です。
 また、英国留学に伊藤と向かった際に水夫と間違われて扱き使われ、排便の際はトイレを与えられず
 船に掴まり、外洋に命がけの排泄をしました。
 そのとき体に巻き付けた命綱のロープを握っていたのが伊藤であり、井上だったのです。
 留学先で長州の七カ国と開戦を知り帰国、幕府の長州征伐などで命をかけての二人の行動には
 小説の枠を越えてただただ感動させられるばかり。
 ふたりの友情が終生のものだったことも頷けるところです。

 明治維新が成功して明治政府が樹立すると維新功労者に永世賞典禄が送られます。
 西郷隆盛2000石を筆頭に大久保、桂小五郎が1800石、大村益次郎1500石、後藤象二郎1000石
 と続き、江藤新平あたりで100石。ところが、伊藤と井上はまったく対象外だったのです。
 この件が井上の「お金に対する執着を加速させた」と三好徹は『政・財腐食の100年』で
 指摘していますが、さて、どうでしょう。
 確かに井上は維新の前後でまったく人代わりしたようにその評価が変わるのですが
 そのボーダーラインを明治二年の永世賞典禄にするのはいいとしても、その動機がどうも
 釈然としないところです。

 ありゃりゃ、長い書き込みの割に
 また、まとまらなかった。続く