あかんたれブルース

継続はチカラかな

太屁洋の荒鷲「湯けむり飛行」




その日、緊張した面もちで下馬大尉は司令室のドアをノックしました。

連日、米軍の空襲に疲弊しながら、本土決戦を余儀なくされ、
一億総玉砕という言葉が現実味をおびてきた(汗)
昭和20年5月8日午後1時55分。

奇しくもこの日の午前中に、
劣勢に追い込まれる日本に、同盟国ドイツ降伏の知らせが届きます。

そして、その4時間後。
第三一二航空隊で「秋水」を開発中だった柴田武雄司令官は、
下馬太郎大尉(予備役)から作戦企画書を提案されていた。


その内容は、米軍本土爆撃作戦。


「コロボックル、この作戦計画には無理があるんじゃいか」

   コロボックルとは下馬大尉のフォーリーネームである。
   蒲田の新興宗教にハマってしまった柴田司令官は部下をフォーリーネームで呼ぶ。
   これが嫌で下馬大尉は必死に作戦計画案を捻り、人事異動を画策しての発案だったという。

   その2年前から中島飛行機では
   6発エンジン搭載の超大型戦略爆撃機富嶽」を開発していたが、
   完成のメドはたっていなかた。

下馬大尉は必死に力説した。

エンジンはドイツのダイムラーベンツ社から実験用に輸入した
メッサーシュミット搭載のDB601Aが6台あります。

「コロボックルよ、しかしライセンスの問題があるだろう」

(ムカッ。そのコロボックルはやめてくれ!)
ドイツは既に降伏したので反古です。今なら期間限定使いドク。

「コロボックルよ、与圧キャビンや高高度飛行のオナラの問題は解決されてないぞ」

   (そうなのです。高度1万メートルまで上昇すると腸内のガスが通常の三倍にふくらみ、
    そのガスで搭乗員が中毒状態に陥る。これがデンジャラス)

そのガスを使うのです!

下馬大尉は得意満面の笑顔で話しました。

操縦座席をO型の便座にして、そのガスを操縦席内の暖房に使います。エコです。

「コロボックルよ、臭くはないか?」

(ムカッ。そのコロボックルはやめてくれ!)気分の問題です。
「全国湯けむり紀行」というお札を機内に貼るので対処します。

「コロボックルよ・・・」

「司令官!この一発で源田の鼻を開かせますよ!」

この一発で、決した。

柴田司令官は源田大佐が大嫌いだったのです。

『へ号作戦』は陸軍の「ふ号作戦」(風船爆弾)に対抗する意味で
海軍内でもすんなり通ってしまいました。

下馬大尉は陸海軍独立軍事法人「屁之河童会」の理事長に就任したそうです。

中島飛行機から「富嶽」の試作機を調達すると、
掻き集められた6つの「DB601A」エンジンを搭載して、
掟破りの6発エンジン搭載の超大型戦略爆撃機は三日で完成しました。

さて、日本の降伏まであと89日。
間に合うのか「富嶽」改め超ど級爆撃機「屁極」。それからどうなった?





写真は「屁極」のベースになった「富嶽」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B6%BD
そしてメッサーシュミットに搭載されていた「DB601A」エンジン。
これが厄介な代物でうまく日本は作れなかった。材料にニッケルを使えなかったのも痛かった。問題は色々です。

これは一部フィクションです。これは一部フィクションです。これは一部フィクションです。

画像削除します。(9月11日付け)