あかんたれブルース

継続はチカラかな

孤独としがらみの間で


>人と人との繋がりが希薄で無機質である大都会は、
>田舎のしがらみから逃げてきた者には気楽でいいけど、やがて、
>耐え切れない孤独感に苛まれますよね。
>そういう「東京砂漠」が、ネット社会という形で現われた。
>しかし、ネット社会には帰るべき故郷がない。



昨日、塾長からお言葉を賜りました。

大都市での人間関係は希薄で無機質なものです。
それでも生活していける生きていける、感じがするからでしょう。

昨日まで記事にしていた「御輿」の話も、町内会という共同体があってのことで、
マンションなど共同住宅に他地域からの住人とネイティブとの隔たりは大きい。
そして、共同住宅内で各住人との関係も希薄で無機質です。

そのひとつの現れに「挨拶」をしない、できない。があることは
以前から嘆きの馬太郎でした。

うちのマンションで約半数以上が該当します。
ホントは2割ぐらいなのでしょうが、残りの4割が戦々恐々としている。
「挨拶をこちらからして拒絶されたらどうしよう・・・」

朝のゴミ捨てなどピリピリした緊張がただよっています。

とは別に、「田舎のしがらみ」もまたあるでしょう。

元をたどればみんな親戚縁者という地域で育ちましたから理解はできる。

以前、ブログのお友達に軽い気持ちでウォーキングを奨めたところ、
「馬太郎さん都会とは違うのですよ」とたしなめられた。

理由その一)色々な人に会う。
理由その二)熊が出る。

地方は地方でまた大変だったりもする。


「ひきこもり」は全国で100万人を越えるそうです。
実際に自宅にひきこもっている以外に、

「心のひきこもり」というものを考えてみると、どれほどの数になるのか
予想がつかない。

孤独としがらみ。

その解決のキーワードは「自由」ですが、これがねえ、なかなか難しい。
答えは見い出せてもなかなか難しいものです。
社会環境もあるし、自分自身の問題も大きいものです。

『おそめ』で戦時中、
東京に来たおそめさんが京都の地元との人情の格差を痛感する場面がありました。
皮肉ですよね。
京都の商家の底意地の悪さ。これは風土のようなものですが、京都は空襲がない。
対して、東京は連日の空襲で最終的には焼け野原。
人と人とが協力して助け合っていかないと、生きていけない。

そういうのは追いつめられないと本気にならないと思い出せないもののようです。

それもあって、戦中派のひとたちにのなかには、
もう一度、大震災でも起きて焼け野原になればいいのだと云う人もいます。
まあ暴論であり無責任でもあると私は賛成などできませんが、
その動機はわかります。

精神分析の世界では「意外性」という位置付けで考えているようです。
「劇的」とか「ドラマ性」とかですかね。ショック療法みたいなものでしょうか。

要は変化が必要なのです。

人は変われるか。

この質問を合計3回。音夢嬢に問われました。

その都度、答えはいつも「変われる」です。


時代や環境は変わります。それに沿って人も変わっていく。
その変化から、そぐわなかった生き方を見直して脱皮再生する必要がある。
もとに戻すとかも含めて「変える」というのがキーワードのようです。