あかんたれブルース

継続はチカラかな

これがないとツライもの




立命っていうと何か時代がかって恐れ多いって感じですね(汗)。

少し方向性を変えて、こちらからのアプローチとすれば

「志」こころざし となる。違う?

志の件は、むかし「土壇場の馬鹿力」でさんざんやりました。

これって大切なのだけれど、それでも敷居が高いといいます。

またく、みんなワガママ(笑)。

違うのだよ、みんな言葉尻をとらえたイメージで過剰反応している。

そういったものを背負って生きることを煩わしく思ってしまいます。

でもね、なんの指針のなく目的もない生き方って、結構ツライものだ。

それは決して自由ではない。気がつけば自分を見失ってしまうものです。

もしくは、手近なものは現実的で説得力はあるように感じますが、
それを達成してしまうと、また途方に暮れてしまいます。
すべて立証済みのことです。

よく生きることに疑問を感じた場合の答えとして
「生きることです」と諭しますよね。啓蒙的に教科書的に宗教的に
それはそれで間違いではない。半分はあたっている。

でもさ、そうは言われても、漠然として抽象的じゃないか。

確かに生きることってつらい。

だから生きるのです。と言われも禅問答のようじゃないか。

そこに「命」というものに使命や役割といった
立命」や「志」があるのだと考えれば、すこしは納得できるってものです。
別に関係ないって思う人、思える人には関係なにものです。

じゃあ、それはなに? 自分で考えるしかないですよね。

ひとつだけ、

吉田松陰の志。
(日本の近代化、明治維新に導いた第一の思想家です。)

彼の志は「約束を守る」ことでした。
松蔭はね、人との約束を守れないようで、いったい何が出来るというのだ。
と考えたようです。

簡単なようですけどね、「言行一致」と同様に、「約束を守る」ってことも
なかなか難しいことだと思います。

最初は身近なことからでいいから、小さな志をたててみてはどうでしょ。
達成できたら、それに満足しないで、即、次の志をたてる腹づもりで。

たぶん、それを繰り返していくうちに何か見えてくると思います。

陰陽学「易経」の本当の目的は
この立命を知る学問でもあるといわれております。




陰陽四十八手(21)指切り幻魔大戦