子育ても立派な天命
天命という観点から私たちは自分の役割や使命ってなんだろうと考えます。
裾野は「適職」から「天職」まで
そして、そんな大それた役割なんて担ってなんかいないと疑う人もいるでしょう。
たとえば、歴史的な人物を思い浮かべて、そんな能力や才能なんてないと思ったりします。
そこで、
人間が歴史を創るという考え方はひとつの側面からで、
ホントは時代が人間を作っているということも言える。
そこに、「場」というものがあります。
はじめから、その「場」を約束された者もいるでしょうが、それはレアケース。
多くの英雄たちは、なにかの切っ掛けでヒョンなことから
その「場」に引きずり出されてしまった。これが歴史にはよく表されているもです。
ナポレオンもヒットラーも竜馬も伊藤博文も児玉源太郎も・・・
それに対して「天」とは非常にシビアで、その仕事請負人がたとえ途中で倒れたら
次の担い手を即時用意している。そういう仕組みになっている。
また、個人主義の観点から自分だけのことを考えては無理があるようです。
私たちに宿命というものがあれば、父と母が存在します。
その父と母にはまた父母がいて、自分を起点に過去にさかのぼれば無限大にひろがる。
過去 現在 未来
……○
……○○
……○○○
……○○○○
……○○○○○
∞ ……○○○○○●(私)
……○○○○○
……○○○○
……○○○
……○○
……○
←ご先祖様 子孫→ 細木が安岡の説を利用して先祖供養と仏壇・墓石に
話をすり替えたのは、ココです。
立命という文字の「命」を生きることと解釈するのであれば、
その血脈を絶やさないことも立派な仕事かもしれません。
「場」というものは時代や環境によって与えられるとすれば、
自分の子や孫、その子孫たちが何かしらの仕事を与えられるのかもしれません。
めぐり逢わせですからね。
だから子育てだって立派な役割・使命だといえます。
また、多くの人達が懸念する才能や能力については、
それが役割を・使命を損なうことはありません。
その「場」にたてば、不思議と集中力が増し充分な能力が引き出されるようです。
ひとつ言えるのは、天がその人に何か仕事を与えようとした場合、
大きな試練を与えるという法則があります。
中国の思想家・孟子はそれをこう著しました。
「 天が、重大な任務を人にあたえようとするときは、かならず、
まず、その人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、
その行動を失敗ばかりさせ、意図を食いちがうようにさせる。
これは天が、その人の能力のないところを、できるようにさせる試練である」
だから、もし
あなたが、不運続きで凹んでいたとしたら、
それは天が与えた試練なのだと考えるべきなのです。
あなたに、なにか仕事を与えようとしている。天命が下ろうとしていると。
そのとき、決して逃げないことです。
また、悩んだり迷ったしたときは、危難の方を選択することが正しい。
その逃れようとすれば、いつまでもそれは追いかけてきます。
こればかりは合理主義では解決できない仕組みになっているようです。
いずれにしても、それを決めるのは自分自身です。
陰陽四十八手(22)必着「仕事人」今日から師走
天命、立命といって、安直に英雄だけをイメージしてはいけません。