あかんたれブルース

継続はチカラかな

取り止めもなく午後の紅茶

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わたしの記憶が確かなら(古ッ)
はじめて外国映画で感動して泣いたのは
ビング・クロスビーの『我が道を往く』でした。
http://www.h6.dion.ne.jp/~mfans17/GOING_MY_WAY.html

ストーリーはまったく忘却の彼方、
スコットランド民謡だという「ルーラルラルラル〜ラー」のクロスビー扮する
オマリー神父のメロディーだけが耳に残っています。

外国映画で神父さんや牧師さんはよく登場する。

多くも場合が「神を信じなさい」と言い募るだけで
いつの無力で場違いな存在に映りました。

例外はエクソシストの二人の神父さんぐらいかしらん? 悪魔払いですからね。

「信じるものは救われる」

この言葉をわたしは誤解していたのかもしれません。

欧米社会に君臨するキリスト教は確かに神との契約があったようです。

新約聖書でイエスは常に神の子であるかを疑われ「証」を求められます。
証とは奇跡のことでした。

これまで「救われる」という意味を「魂」とか「精神」とかと思っていましたが、
最後の審判とか天国行きへの内定チケットとか、だけではなく
そこに、「成功」とか「願望達成」のマルチ商法があった、わけわけだ。
いえ、それを批判しているのではありません。

宣教師といえばザビエル神父ですが、その後クリスチャン禁止と鎖国
泰平の世を貪っていた日本。
明治維新を迎えて文明化とともに大急ぎで近代化を実行しました。気持ちだけ

その19世紀に登場したブース大佐の存在はとても印象的。
ウィリアム・ブース神父はメソジスト教会の牧師。救世軍の創設者です。
救世軍は1865年、妻キャサリンと共に、ロンドン東部の貧しい労働者階級のために設立された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E4%B8%96%E8%BB%8D
日本にも上陸したこの「世界一弱い軍隊」の活躍は、
キリスト教アレルギーのわたしでさえも手に汗涙鼻水すする例外中の例外。

米国経済専門誌『フォーブス』で「全米で最も効率の高い組織」として評価されているとか。
東京では古本屋の街、神田神保町にあります。隣は集英社


キリスト教といっても色々なのでしょう。
ハリソン・フォード『刑事ジョン・ブック/目撃者』では「アーミッシュ」と呼ばれる
17世紀そのままの生活様式を守って暮らす、特殊な宗派の人々が描かれていました。
電気、自動車、マスコミといった現代文明をすべて拒否して暮らす共同体。

人生色々、キリスト教も色々


人間の幸福ってなんなんだろうかねえ。





陰陽四十八手(番外)島倉千代子細木数子
タイトルの関連は東インド会社。紅茶と植民地ですかね。
例の本が届くまで、お茶を濁そうかどうしよか
ここは思案橋〜ブルース〜(汗)