あかんたれブルース

継続はチカラかな

月曜もダメよ

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『赤いテント』のヒロイン
クラウディア・カルディナーレは恋人の捜索を願うために
その体を捧げた。

そのシーンに心が軋んだ中坊の馬太郎。

甘いか?

髪形をかえたヒロインが美しかったから?
可哀想だったから?
純愛のための理不尽な貫きかたに哀れを感じたから?

そのときの印象は35年経ったいまでも変わりません。


日本人のものの考え方、感情には侘び寂び天然の無常、恥の文化などと一緒に
滅びの美学、

もののあわれ。というものがあります。

こういったものは西洋にはない。といってもいい。
キリスト教イスラム教などの一神教の世界にないといってもいいかも。

こういった虚無感は一神教を信じる人々にはない。
なぜなら、神が守ってくれるから。

虚無感を拒絶し救いを求めた者たちと虚無感を受け入れて者たちの差です。

恋愛、愛の認識の格差を
フランス人、フランス映画から日本人のそれと対比させました。
同じ人間ですから当然多くの共通点はあるとしても、やはり違う。
それは民族の文化、文明、宗教などの環境によるものです。

日本には四季があり、美しい自然の変化があります。
たとえば、国木田独歩の『武蔵野』では(三鷹から先ですかね)
少し足を踏み入れれば道に迷う、誰しも焦ります。キツネに騙されたか?と(汗)
けれども、ふと気がつけば美しい風景のなかにあることを知る。

これが人生だ。

わたしたちの迷いや苦悩や不安はそういうものかもしれない。

また、移りゆく季節の変化は来るべき新しい季節の到来を予感させる。
そして、それは決して裏切ることはありません。

しかし、ユダヤ教キリスト教イスラム教が生まれた環境は違う。

見渡す限り砂漠。ひとたび迷えば死に繋がる。

虚無とか滅びの美学なんて到底受け入れるわけにいきません。

神を必要とした。

勿論、日本人にだって神は存在します。が、その質と出発点がまったく違う。

もともと同じ人間ですが、宗教を介在させてからその思考や感情の方向性は
まったく違う方向へ歩き出した。わけだ。

わたしたちは合理的に生きようと考える。それは当然ですよね。
しかし、それが流布されたのは幕末から明治の維新。そして
敗戦からの現在の流れからのものです。

わたしたち日本人のDNAのなかには、まだ確かにこの
もののあわれという感情が残っている。

わたしが、『赤いテント』のヒロインを愛してしまったのは
このためです。女優が綺麗だったってことも当然否定はしませんが。

そして、ここにエロティズムを感じた。

これが最大の理由なんだと思うのです。

マセた中坊だったわけだ(汗)。




愛とエロティズム(1)
キュートなクラウディア・カルディナーレをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=LkVwOz93eGk&feature=related