あかんたれブルース

継続はチカラかな

太郎さんの美人攻め

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最善の方策は大国ロシアと戦争回避できること。
それは小学生でも解る。
あらゆる外交の手立てを尽くしますがどうにもなりません。
そして、日本は日英同盟に成功する。

日露戦争当時の総理大臣、桂太郎の登場。

大柄で大国様のような風貌。頭が大きかったそうです(汗)。
処世の長けた人でニコニコして相手の方をポンとたたく癖から
「ニコポン」とか「サーベルをさげた幇間」といわれた。
幇間とはタイコ持ちのことです。

この桂を必要以上に嫌ったのが乃木希典ってところが面白い。

ということで、桂太郎の余談、だが。です

この人、面食いでした。

伝記等での表記はまちまちですが、彼の生涯には美人が常に絡んでいる。

慶応三年、桂21歳のときに、愛宕下の長州藩邸で八百屋の娘を見初めます。
大変な美人だったそうです。父親にまでは話はつけた。が、
その後、戊辰戦争での空白から東京に帰って、
結納のつもりで100円渡します。というのは欧州留学をひかえていたからです。
父親とその娘が横浜に見送りにきました。
それから三年後・・・帰国すると。
「娘は芸者にしました」と父親の意外な告白。

「芸者は困ります!」と桂太郎の母親は大反対。

で、この母親はそれ以上の美人を長州でみつけてやろう。
それだったら文句はないだろう。

で、納得した太郎さん。
その最初の妻は伊藤博文をして、
「わしもずいぶん美人を見たが、桂の最初の家内ほどの美人は、
 いままでかつて見たことがない」

これが、長州藩士斉藤次右衛門の娘でのか(離婚)、
明治六年に三浦梧楼の妻の妹なのか(離別)、
明治七年に長州で娶ったという野田歌子なのか(死別)、
明治十九年に旧長州藩宍道恒樹の娘貞子(死別)なのか、
名古屋で見初めたレストランの看板娘木村加奈子なのかは、わからい(汗)。

凄い、女性遍歴ですね。
しかもたぶんみんな美人ですよ。きっと。絶対に!

その桂太郎日露戦争の真っ直中で手を出したのが
新橋一の美人芸者「お鯉」(安藤照子)です。
写真で確認しました。美人ですよ。

紹介したのは山縣有朋だということです。
桂首相の神経を癒すためというのが動機でしたが、
後のポーツマス講和条約の不満から爆発した日比谷焼討事件では、
お鯉の赤坂榎町の妾宅もその標的にされてしまいます。

桂太郎
児玉源太郎杉山茂丸の二人だけの秘密結社に加えられた三人目のメンバー。
その結社の目的は日露戦争開戦と勝利でした。
桂内閣はそのために誕生した。



坂の上の雲』文庫第三巻 第十九章「外交」