あかんたれブルース

継続はチカラかな

願いと祈り。そして行動



以前、国際ボランティアを志す友人のことを記事にしたことがあります。
自分のことさえ大変なのに、
この人は死んでゆく子供達の悲しい表情に想いを馳せて
心を痛めていた。とても感銘を受けたので記事にしました。

こういう記事にはある種の反応があるものです。
通りすがりのブロガー氏が、その経験不足と不勉強さを批判する。
そういう「条件」を満たさない限り、軽はずみにボランティアなど
してはいけないというものです。

そうだろうか。

わたしの記事に、この人の経験とか学びの課程は記してはいなかった。
なぜ、この人の未熟を批判するのだろう?
また、たとえそうであっても、そういう条件をクリアしないと
それはできないものなのか。

いったい、いつになったらそれはできるのか。
それは誰がジャッジするか。

わたし自身、若い頃はボランティアに対して懐疑的でした。
「そんなことをやったって」とか
なにかそれに「偽善」というものを捉えてしまっていた。

そういった考えを改めるようになったのは35歳を過ぎたあたりでしょうか。
38歳にしての息子の誕生でそれは決定的となった。

無理にやらなくても
そういう時機がきて、そうしたければ
やればいいんじゃないかな。

ロマン議長の連動記事で平和を訴える試みに対しても似たような反応がある。

そんなことをやっても何も変わりはしないという。

その苛立ちやジレンマは理解できます。けれども、
何も変わらないだろうか。
いや、変わる保証がなければ、やらない?

無理に強要はしない。
やりたいと思う人がやればいい。
そういう想いがある人が行動を起こせばいい。
民主主義の悪い面だけが表面化している昨今ですが、
当然、民主主義にも良い面はあります。

そんなことをやっても変わらない。
いや、変わる。
二割の人が動けば、六割の人も動き出します。
それで世論は動きます。
マスコミも政治も変わる。役人も変わらざるおえないし、
公務員のなかにも変えたい人はたくさんいます。
それを求めれば良い。

ロマン議長の次の連動記事のテーマは

8月6日広島原爆
8月9日長崎原爆
8月15日終戦記念日

です。詳細は(↓)
http://blogs.yahoo.co.jp/romanticnao/26264665.html#26264665