あかんたれブルース

継続はチカラかな

民主主義を死守せよ

先週は佐々木実氏の講演(小泉・竹中改革の功罪)から
http://blogs.yahoo.co.jp/basicincome01/11246588.html
ときて、夢うさぎ塾長との密談、そして茂木発言と
色々考えさせられる今日この頃です。
それとなく常日頃ブログを通して発信はしているのですが、
本日はちょっと真面目に馬太郎の主旨説明をさせてください。

歴史には、後講釈というものがある。
過去の出来事なので私達はその結果を知っているので、
そこから、ああすればよかったこうだったなどと解説するのですが、
ここに罠があるものです。
それは、私達があくまでもその結果を知っているから、
あたかも一本の直線のように見えてしまう錯覚にあります。
その時の当事者にもそれはわからない。誰もわからない。
全知全能の神じゃない、人生すべて一寸先は闇なのだ。
それじゃあ危うくて危なくて仕方ない。だから
色々と知恵や理屈やデータやシミュレーションや陰謀や戦略を巡らせる。
のですが、株屋でも馬券師でもみんな失敗ばかりです。

70年代から80年代にかけて倉前盛通氏が地政学の見知から
大国の国際戦略を開帳されておりましたが、
ソ連は崩壊するは、米国は疲弊するは、中国も実情は危ういというのが現実。
リーマンブラザーズだって破綻するわけですからユダヤ財閥だって当てにはならない。
こういったことは中学生でもわかる理屈でも、
それでも納得しないのはなぜなのか?

いくら商売とはいえ、意図的なミスリードじゃないかと勘ぐってしまうものです。

最近の「小泉(竹中)批判」も凄いですよね。
その批判の講演だった佐々木氏ではあったのですが、それでも彼は
「米国の陰謀」説を二度出して、二度とも否定された。
良識的な知識人だと思う。そこで公演後の質疑応答でガラにもなく挙手した馬太郎。
「昨今の陰謀説論者をどう考えるか?」
佐々木氏曰く
「そういうことを宣う方々はあまり知らない人たち」と切り捨てる。
ナイス。その言葉を待っていたのだ。

そりゃ、陰謀はある。駅前の八百屋の親父にだって馬太郎にだって、ある。
あるけど、そうそう上手くいかないのが現実なのだ。

佐々木氏の講演の三日前にその主催の柴田氏と少々揉めました。
打ち合わせのなかで「歴史は繰り返す説」を否定する同氏。
それはわたしも同感。しかし、柴田氏は歴史研究自体の有効性も否定する。
その裏付けとして提示した「時間軸からなる螺旋の歴史的相似」から一切認めない。



違和感があった。それは同席したシンクタンクの方も感じたそうです。
それを察したのでそれ以上の話はやめたのですが、思ったのは
「オヤジ耄碌したな」だった。

歳を重ねるということは、経験や知識を多くもてる利点はありますが、
同時に「固定観念」のしがらみに腐蝕されるものです。
個人差はありますが、だいたい五十代前半からそれは顕著になるといわれる。
馬太郎もそう先はないので
JJ. や春風にバトンを渡さないと、と痛感しております。

陰謀説論者の常套句に「常識で判断してしまうとそこで思考停止に陥る」
というのがある。そりゃそうだ。だけどね、
中途半端な知識と想像力で陰謀にワープさせてしまう性急さは問題。
そこにもまた固定観念があり、思考停止に陥る。
理論の空洞化、そして結論の短絡さ、無責任がある。
また、「私だけは知っている」的な変なアイデンティティーがある。
ときどきわたしにちょっかいを出してくるヤフーの陰謀論者の方々の
コメント文言をみると、結局確信はうやむやで危機感を煽るマスコミと同じだ。
質が悪いです。

固定観念と常識はイコールといっていいかもしれません。
常識は大切です。ただこれは時代時代によってコロコロ変わるので
どこかで疑ってかかる知性がないと大変な目に遭う。
その最大の罠を提供しているのがマスコミ・メディアだと思います。
それはみなさんも御存知でマスコミ・メディアに対する批判の記事は
ネット上でもよく取り上げられていますよね。

でもね、そういったマスコミ・メディアを増長させているのも
実は私達の責任でもある。
太平洋戦争の責任を、軍部、天皇、政治、そして
最近ようやくマスコミの責任とするが、
実は最大の責任は「国民」にある。これを外していけない。
自虐史観の方々はここらへんを肝にすえていただきたい。
そして、それは現在も同じなのだ。
歴史を学ぶということは、そういうことであり、
柴田のオヤジの耄碌はそこにある。

それでもさ、だからといって、マスコミ・メディアの報道を
すべてシャットアウトするわけにはいかないじゃない。
結局は、ネット時代に入っての情報多寡が原因していると思うのだ。

日露戦争で天才作戦家といわれた秋山真之の「天才」さ、とは
情報整理能力にありました。膨大な資料から必要不必要を整理する。
この能力を現在の私達は求められているのだと思う。

別にねえ、そんなのなくても生きていけるわけですから
煩わしいと思う人は多いと思いますよ。そういう人はそれでいい。
問題は、何かを訴える欲求に駆られる人たちです。
ネットの普及によってそういう人たちが急増した時代環境がある。
そこにネットの匿名性と無責任さという問題があるのだと思う。

ネット上で今日も展開される右翼左翼の抗争。
これもまた変な話で、双方国を思う点、米国を嫌う点では一緒なのだ。
と同時に現政権に対する批判も同じだし、言い分を聞けば共通点のほうが多い。
でも許さない。相容れない。
だいたい、右翼左翼ってものの実体がよくわからん!
実際に現在の右翼団体というものがどういう変遷で変容したか、
まずそこからたどってみるといいかもしれません。
そのうえで、頭山の玄洋社内田良平黒竜会を右翼といえかどうか?
因みに戦前戦中の図式だと
朝日新聞玄洋社黒竜会 対 軍部+右翼
であり、
黒竜会には秋山定輔の二六新報など革新派のジャーナリストたちが
多数参加していたわけだ。
玄洋社自体がもともと自由民権運動から出発していますから
いまのカテゴライズからいうと完璧に左翼です。
国家社会主義という言葉もありますから
この辺はぐっちゃぐっちゃになりますが、そうそう簡単に区分けできません。
できないのにそれをしようとするから無理が生じる。

でね、現在のネット上でのバーチャル右翼左翼っていうのは
数的にはごく少数派でしかない。大雑把にいうと全体の一割です。
それなのに何でこんなに目立つのか?
声がでかいんだな。
じゃあ残りの八割はどうしてるかというと、黙ってる。
なんたって良識派ですからね。それと無関心。
八割の内訳は良識派が二割で、無関心が六割です。

たださ、ここにきて、良識派も黙ってばかりいちゃダメみたいだよ。
マスコミのターゲットは最大多数ですから
視聴者購読者を「バカ」だとみている。
夕方のニュース番組をみてごらんなさい。グルメとタイアップ芸能とスポーツだ。
日テレなんかはっきりしてますよね。

どこぞにはアフリカ諸国のネットによる革命を賛美する馬鹿もいますが、
そういう危ういことじゃなくて、
まず身近にできることから。それは私達が情報の在り方に疑問を感じて
「NO」といえる良識を持つことじゃないのかな。
そういうプレッシャーを感じられればマスコミだってしっかりしてきますよ。
なんたってスポンサーが控えているわけです。
私達は視聴者購読者であり、消費者であり、納税者でもあるわけです。

どうか中間層の良識者諸兄、ここらあたりで主導権を取り戻そうよ。
このままじゃ民主主義もオダブツだ。