あかんたれブルース

継続はチカラかな

『手と声の輪』〜テーマ「京大ネットカンニング事件」

この記事は、『手と声の輪』として企画された
第4回「教育」四部に寄せた記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha/8154612.html

行き違いがありまして、急遽決まったテーマの前に書いてしまった(汗)
京大カンニング事件の今後の展開
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/51872967.html
関連でhttp://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/51873770.html
それをふまえて

民衆の敵

同名の古いギャング映画があった。
アメリカ映画にはそういう者をリンチにする場面が多々ある。
街の広場で縛り首。
同然の報いとして民衆は歓声をあげる。
これがわたしの知る米国型デモクラシーのひとつです。

古代中国の殷(商)という王朝は呪術儀式で国家を治めていた。
淫蕩の形容詞になった酒池肉林の実は儀式だったとか。
この国は周に亡ぼされましたが、生け贄を捧げる風習は残った。

洋の東西を問わず、人間は、民衆は生け贄を求めている。

中世の魔女狩り、異教徒、処女・・・

たぶんに社会不安が関係しているとは思うのですが
現代の日本も貪欲にそれを求めている。
それは時代時代によって変容します。
平和な時代なら施政者やジャイアンツやタレントでよかったのでしょうが、
なんかどうも様子がおかしくなってきています。
タガが外れてきている。

民衆の敵

一番わかりやすいのは太平洋戦争の戦争責任だ。
当時の軍関係者と政治家などにそれをひっかぶせている。
彼らに、責任がないわけではない。しかしだ、
マスコミはどうだ!
民衆はどうだった。

国民は被害者だったといいます。そうだと思う。
しかし、あの熱狂はなんだったか。
それは政府とマスコミによる洗脳だったいう。
では、マスコミは戦争責任をどのようにとったのか?
煽った国民までもが被害者扱いしていいものだろうか?

そこまでいうと、責任が曖昧になってしまうというかもしれない。
しかし、その責任とはなにか?
私達がはたさねばならない責任とは過去のものではなく、
現在にある。

わたしは自虐史観的戦争責任追及論者を認めない。
そこに、無知と卑怯があるからだ。
それはマスコミの姿勢と同種ものである。
責任追及者という役どころを担うことで、その責任から逃れようとしている
としか思えない。

それは卑怯だと思う。フェアじゃない。

欧米の倫理観にはこの「フェア」がある。
それは一神教キリスト教)的な考えから発したものだと思う。
その意味で、日本はそういのが曖昧な性質がある。
そのかわりといっては変だが、日本には「恥の文化」というものがある。

しかし、いま日本に恥の文化はない。

わたしもカンニングぐらい山ほどやった。
その頃、それが一種の美学でもあり、スリルでもあった。
万引きもしたことがある。喧嘩もしました。
賭け麻雀もしたし、パチンコで勝って換金するのも常習犯だった。
裏本も見たし、不法なブルーフィルム上映会に高校生のくせに行った。
学生時代に鹿児島のナポリ座で本番ショーを観覧しました。
酒と煙草は高校一年生からです。
カラ領収書を改ざんして脱税もやった。
俺も一緒に逮捕しろよ。民衆の敵として

いやそうじゃない。というだろう。

そんなことわかってるよ。
そんな原則論を持ち出して木で鼻を括るなよ。茶々いれないで!
不正の善悪の話で議論なんかしたくないんだ。

そんなことは知っている。わかっているってばさ。
世の中はなんでもリスクが伴うものです。
受験の場で、カンニングがバレればアウトってことはみんな知っている。
だから、アウトにすればいいじゃないか。覚悟の上なのだから。


今回の事件から「みせしめ」という言葉が頭を過ぎりました。
それは、昔、置き石のイタズラで莫大な罰金を支払わされたとか、
山で遭難すると一財産吹っ飛ぶととか、
魔性の女に引っかかるとケツの毛までむしり取られて本望とか
というのと似ていたかもしれない。似てないか(汗)?

けれども、そのうちに「生け贄」という言葉にかわった。

これほど文明が発達した21世紀の時代でも
私達はまだ生け贄を求めている。喜々としてしている。
それを悟られてマスコミは歌うのだ。
恥も外聞もなく私達は踊るのだ。

もう興味はそれてしまった。
新しい生け贄が必要です。そうでもしなければ、狂ってしまいそう。
はやく新しい生け贄を捧げてくれと、民衆は渇望している。

恥知らずな民衆のおっそろしい国。
だから、マスコミは仕方ないのです。それが使命だと信じています。

信じる者は救われるのだろうか?

ものによりけり。


『手と声の輪』第4回3部〜テーマ「ゆとり)」
この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha春紫苑『Hand In Hand』参照)
企画として書いた記事です。