あかんたれブルース

継続はチカラかな

魂の試されるとき

東北関東大地震をリアルタイムに考える
私達にできること(2)


むっしゅがこんな記事を紹介してくれた。
「震災からの復興を邪魔しようとするバカ」
http://mogura101.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-c41e.html

なかなか良いメッセージです。
わたしも同感。

とは別に、政府やマスコミや東電に対する「不信」を訴え
煽るメッセージを配信している人もいた。
「おいおい、順番が違うよ(汗)」
毎度のことながらそう思う。頭を抱えるのだ。

問題は、今だろ、今。
安全な場所で危機感を煽って論説してるんじゃない!
と憤ってしまいます。
悪気の有り無しじゃない。頭が悪い!
「あの馬鹿を黙らせろ!」と腹がたって名指しでぶっ潰してやりたい
のですが、ルイ騎手に「おとなげない!」と叱られるので、やめます。
(でも、もっとエスカレートしだしたらやるかもよ)


ということで、衝動的から戦略的にスイッチを切り替えて
本日は「備えあれば憂いなし」の格言について

昨日、わたしの住む町では買い占め騒動がありました(汗)。
地域住民というよりも、他の地域から人が集まって大変な騒ぎだったとか。
どっかの馬鹿が「●瀬には食糧がまだある」とネット配信したのだそうです。
なんともはや・・・

「自分さえ」ということを批判するのは容易いのだ。
また、そこに「備えあれば憂いなし」というのが
大義名分の錦の旗印となっている。

でもさ、それは違うよ。
そこには時間軸があって、その備えとは「今」じゃない。
少なくとも緊急事態が起きる「前」の話のことです。
起きてしまってから「遅ればせながら」の「自分だけは」の「備え」じゃあ
流通を掻き乱して余計に混乱をきたしてしまう。

被災地の惨状に心を痛める人は多い。
なにか手助けしたいと考えヤキモキしてる人は多い。
また、海外から暴動略奪のおきない日本人が高く評価されてもいる。
大震災は厄災としてマイナスであることは確かなのだけれど、
逆に日本は世界に発信しているわけです。
もっと日本人は自信を持つべきです。

自信の対極には「不信」があります。

そういう「の」を今どうこう言い募るのではなく、
まだ非常時なんだから、とにかく今は信じあおうよ。
火事の最中に現場検証してるようなものです。

地震からまだ一週間も経っていない。
被災地での救援活動はまだまだこれからだ。
原発事故はまだ解決していない。


私達になにができるのか?

買い占めするな。
できだけ節電に協力しよう。
不安を煽る流言やデマを流すな。
(それを警告という言葉で大義名分にするなよ)
自分の言動には責任を持ちましょう。