あかんたれブルース

継続はチカラかな

カン処の並木道

愛のメンタリズム(2)


とんでもない誤解が流布され
それが定番化している
ようやく一部の連中がその変に気づいてきている。
ある意味そこまで追い込まれたから
ということもあるだろう。

テーゼに対してアンチテーゼは刺激的だ。
けれどもそれは決してテーゼにはなりえない。
せいぜいスパイス程度のものなのに
それを主食とした結果、胃も荒れるよ。


かおりくんが歯磨き粉で顔を洗ったそうです。
あいつも気づきはじめたひとりだ。
まだ気づきの最初の段階で
動揺しているけれど
そこから踏み込めば長いトンネルの出口は近い。
相手は自分だけじゃない。
そこが厄介でもある。
怯むな。孤独を怖れず孤高に立つべし。

■□■ ←これ、なんの記号だかかわかる?
■□■ これは『易経』の上経の24番目の「復」という卦
■□■ 復活とか再生を意味します。
■□■ この前の段階で転落したのだ。とほほなのだ。 
■□■ 
■■■ ←ここが一本通ってるでしょう。
     ここで踏ん張ってる。
この踏ん張りがなければ、振り出しに戻ってしまう。
また、大なり小なり迷ってしまう。
再生、出直しの踏ん切りがつかないから。
  ここでの再生と、逃避して反故にして
  ゼロからの出直しとは意味が違いますからね。
  
その迷いから早くさめてくれればいいけれど
そこに個人差があるのは仕方ない。

ここで踏ん張れるかどうかは大きいのだ。
踏ん張るのは苦しい、しんどい。
もういいやと放り出してしまうか
自棄を起こすか逃げちゃう。
実際にそういう人は、実に多い。

でもそうなると、十年は彷徨い続けるという。
当然、その間はなんら解決なされないままだ。
だから慢性的に閉塞してしまう。
身を持ち崩すということ。
  
  カン処で踏ん張らずに逃げちゃうと
  こうなっちゃう。
  再スタートまでに死ぬことだってある。
  逆にそういうケースが多い。


「頑張るな」という。

それは違うのだ。
頑張る方向性の問題であって
あらぬ方向に頑張っても仕方ないわけで
正しい在り方の方向を見据えて
頑張らないといけない。

頑張らないというアドバイスは耳に優しく
救われる言葉のようだけど、そうじゃない。
頑張る必要のないことを
頑張るなということ。

頑張なきゃならない、踏ん張らなきゃならない
時と場があるものです。

この「復」から「无妄」に変化していきます。
「无妄」とは偽りのないという意味です。
シュタイナーの周期説のように
私たちの人生は、時代は、このように
あるプロセスに沿って変化していく。
それは絶対に避けられないイベントなのだ。