あかんたれブルース

継続はチカラかな

美咲の雫

美咲とわたしのお話(9)


 勘定を済ませて外に出ると、
 美咲がいない。

 不意をつかれて、
 焦って周囲を探します。
 私は途方に暮れる。

 「ば~あ、心配した?」

 後ろから急に美咲が現れました。
 私は安堵と同時に少し怒ってしまった。

 「ストップ!
  おぼろ豆腐、お刺身、ふろふき大根、
  金目鯛の煮付け、御馳走様でした」

 美咲の一言に出鼻を挫かれてしまいます。

 「親は子供に気を配るものだよ。
  すこしっくらい心配して欲しいものなのよね」

 そういって彼女は私の腕にまとわりついてきます。
 私たちは地下鉄の入り口を通り過ぎて
 湯島天神への坂を登ります。


 「ねえ、おとうさん、 
  ワタシが現れたら困った? 
  嬉しかった?」

 「そりゃ嬉しいに決まってるじゃないか。
  何を言い出すんだよ」

 「じゃあ、ワタシがいなくなったら悲しい?」
 「悲しいよ」
 「ワタシのこと忘れない?」
 「忘れるわけないじゃないか」

 「 う そ つ き 」

 「えっ」

 「ウソだよお。なに恐い顔してるの。
  そんな顔すると若いコに嫌われるぞ」

 湯島天神の境内は夜桜ならぬ、
 梅の花が華やいでいます。

 「おとうさんがワタシのこと 
  忘れていないって知ってるよ。
  ときどき、思いだしてくれてるから
  傍に寄り添っていられるの。

  ねえ、ワタシが傍にいたの気づいた?」

 「ああ、気づいていたとも」

 「 う そ つ き 。 
  嘘ばっかり。
  これだから男って信用できないんだよね」

 「本当だよ。美咲、信じてくれ」 
 私は少し戯けてみせました。

 「おとうさん、Kちゃんが生まれてから
  美咲のことを想いだすことが少なくなった?」


 ・・・


 「うそだよ。そんなことないよね。
  ワタシね、すこし嫉妬してみました。
  おとうさんがKちゃんをすごく
  愛しているので羨ましくなりました。
 
  ワタシがいつも傍にいることを、
  忘れないで
  だから、そんな強くあろうと無理をしないで
  体を壊してしまう前に、
  ワタシがサインをおくったでしょう。
  でも、ぜんぜん気がついてくれないんだもの…。
  ワタシはすべてお見通しなの。
  だから、だから…
  ワタシのことを忘れないで」


 私は、すべてを悟りました。


 言葉が出ません。


 言葉のかわりに涙がボロボロ零れてきます。


 涙が止まりません。


 それでも美咲を見失わないように、
 必死に彼女を強く見つめ続けます。


 「ほら、そんな恐い顔すると若いコに嫌われるよ」


 「み、美咲、私を許してください」


 「おとうさん、

  ワタシを泣かせてはいけません。

  美咲が泣くと、涙を流すと、
  ワタシは溶けてしまいます。

  だから、ワタシを泣かせてはいけません。」


 「泣かすものか」


 その言葉が声にならないうちに、
 一陣の風が梅の花びらを舞いあげます。


 「おとうさん」


 美咲が泣いていました。
 そして、静かに、
 美咲は消えていきます。
 私は身動きがとれない。声もでない。



 「おとうさん、
  ワタシを忘れないで、
  いつも傍にいるからね」



  美咲





 私は暗闇の梅の花びらの中にたたずんでいました。

 月の光が燦々と輝いています。

 私の左の手の甲に一粒の雫がありました。



 美咲の雫