あかんたれブルース

継続はチカラかな

臨死体験と脳と心と寅さん



昨夜、NHK特集で
臨死体験・死ぬとき心はどうなるのか
というのをやっていた。
脳と心、魂、意識、体外離脱、死後の世界・・・
こういったテーマは非常に興味深い
多くの人たちが関心をよせるものですが
現在の科学では立証解明が難しいものです。

UFOとか地球外生物の存在・・・
霊魂、幽霊、オバケ、妖怪。超常現象・・・
超能力、霊能力、占い、呪い・怨念・・・
あの世、天国と地獄、転生輪廻・・・
だいたいこういうものの有無については
わたしは比較的肯定的なほうですが
非科学的ということで
バッサリ否定する人たちも多いものです。

(狂信的な方々は別にして)
肯定的な人たちは割合遠慮がちなスタンスですが
否定的な人たちは「非科学的」というのを
全面に押し出して頑なに断固否定する傾向がある。
科学的裏づけ根拠と非科学的という差別化は
はたして反語、対極のものといえるのだろうか?

いまでは地球は丸くて自転いていることは常識ですが
昔、天動説と地動説の論争があった時代では
天動説が科学的で地動説は非科学的なものだった。
私たちが信じる科学的な常識は時間、時代とともに
覆されていくものです。

たとえば、地球外生物に関していえば
広大な宇宙の存在を考えると(数学的)確率的に
その有無はどう考えて在る方に分があるんじゃないか?
そういったことを踏まえて
この「科学的根拠」というものは甚だ頼りない。
それでもツッパル人たちの姿勢には
保守的な頑迷さ、個人的な譲れない何かが
あるんでしょうねえ。
まあそういうのは横に置いといてだ。
間違っても議論して説得しようなんて思っちゃ
いけないよ。

さて、人間の心ってどこにあるのか? 

医科学的に脳がすべてを司ってると考えられている。
古代ギリシャの哲学者プラトン
理性は頭、感情は胸、欲望は肝臓にあると考えた。
その弟子のアリストテレスは、
脳は体内の熱を逃がす臓器と考えていたようです。
古代エジプトでは心は心臓にあると考えられていた。
今でも英語には心をハートという単語をあてて
心臓、胸元あたりをさしている。
古今東西国境言語文化宗教を越えて
心の存在を認めているわけですね。
最近では腸とか臓器全体を考える臓器という
考えも普及してきています。

脳=心という考え自体に無理があるんじゃないか?
その不自然さを「非科学的」といって
切り捨てる力業に無理、不自然があるんじゃないか。
遥か昔の地動説天動説と同じだよ。

さてさて、話はワープして
ここに『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
のワンシーンツーシーンをご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=9gzLQhNkC9Y
https://www.youtube.com/watch?v=crCTlvFvYek

このなかで宇野重吉演じる画伯が正論を説く。
なるほどと思うものです。
ところが、寅さんは納得しない。
そして噛み付いた!
正論の理屈に、無学な寅さんの感情論が爆発だ。
この感情論は、人情であり心の叫びだ。

現代社会はこういうのが通らない世界だ。
だから巷には理不尽が溢れている。
そいうものを理屈で納得させようとします。
これは、脳がやらせることで
脳が心を凌駕してるってことなんだ。

寅さんはやくざで無学な男だけど
その心その言葉を使って物申すものとは
山田洋次という東大法学部卒のインテリなのだ。
これは、クリエイターとしての山田洋次
寅さんの力をもって放ったそういう常識に対しての
鉄槌なんだと思う。

最後は、双方が歩み寄って事はおさまるんですけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=ql5ALw9XDZ8

こういった突きつけられる正論っぽい
原則論やら現実論やら理屈やお約束に
私たちはついつい納得させられてきている。
理不尽だなんだと臍を噛みながら悔しい思いを
多々するものです。大方はこっちが間違ってる
場合もあるとしてもだ。

ひとことでいって
頭が心を抑えつけて一人歩きをしている。
それに異を唱えることに躊躇してしまってる。

寅さんの啖呵を聞いたか。

それをただ単に単純で無学な人間と
笑ってはいけないと思うよ。
少なくと作者の山田洋次はそういうふうに
描いてはいないはずだ。