あかんたれブルース

継続はチカラかな

だからってクリスチャンになれとはいわない

土壌と意識(2)


カウンセリングについて
いまひとつ
日本で流行らなかった理由に宗教の影響も
あるのではないかと思います。
宗派によって呼び方はいろいろでしょうが
いわゆる「懺悔」の習慣があった。
これって告白、カミングアウトだよね。
日本の場合はなんというか
守秘義務が法的にしかない土壌があるので
どこかで漏れる怖れで躊躇するのと
やっぱり精神疾患を隠そうとする意識がある。
差別意識もそこに根付いている)
人権だ差別反対だといっても

無論、差別はアメリカだって欧州だってある。
しかももっと顕著に。
ただし、それと日本の差別は違う。

陸続きでない島国でほぼ単一民族
宗教に対しても寛容というか無頓着
せいぜい新興宗教に対しての警戒心ぐらいの
日本では異形の者ぐらいしか差別化できない。
そういうなかで被差別部落問題は
作られた差別としてあるわけだ。

また家系とかにもこだわるので
結婚問題にもそういう要因が伴う
ので、障害者を隠すという因習があった。
まだまだ村社会なのでしょうねえ。
個人が確立されているアメリカなんかとは
違うわけですね。

ただし、現在の日本の差別意識
特に戦後からの意識ではないかと思います。
一億総中流意識もそれで
みんな横並びの平等意識もあるだろうし
逆に人権や差別反対を訴える行使するのが
皮肉にも差別を生んでしまうという皮肉がある。

締め出そうする。除菌の思想というのか
それで差別はなくなったか?
なくならないならもっと厳しくとするけれど
そっちの方向じゃないよね。

基本的に排他的なんだよね。
江戸っ子が田舎者を蔑視してたように。
「この百姓!」って。

そういうのはね、現実でも日本人の宿痾でもない。
ひとりひとりの意識の問題だ。
昔からいじめや差別をする奴はする
しない人はしない。
海軍でも陸軍でもどこでも同じ。
この差が大きいんだよね。