あかんたれブルース

継続はチカラかな

キャッチボールはできなかったけれど

子育て日記最終章 (3)


息子に剣道を学ばせようとしたのは
幼稚園の頃でした。
キャッチボールの前にチャンバラをして
遊んでやってたのですが
みょうにカンがよかったので
剣道もいいかなあと思ったのが最初の動機。
とにかく武道をやらせたかった。
剣道の「礼に始まり礼に終わる」という
精神もいいなあと思った。
挨拶ひとつできない大人が増えてたしね。

幼稚園の道場に体験入学させましたが
小学校にあがってからといわれた。
息子は小学校入学と同時に剣道を始めました。

そのときの同期生が3人いました。
途中で一人は野球に、もう一人はサッカーに
最後の一人は中学で陸上に転向していった。
いま剣道を続けているのは息子だけです。

息子は、わたしからみるところ
球技系の身体能力はさほどでもなかったので
結果的に剣道やらせて正解だったかもしれません。

結局、野球部出身のわたしは
一度も息子とキャッチボールすることはなかった。
ま、それはそれでいいのですけどね。
息子はそれなりの逸材として
周囲からも期待されていました。
区(複数区)の代表として国体の強化選手候補にも
選ばれるほどだったのに
その期待は本人にはえらく重荷だったようです。
特に母親のね(汗)

剣道に対して、ちっとも楽しくなかったと
思っていたと後から聞かされて胸が痛んだ。

中学になると息子の気持ちにもすこし変化が
現れたようです。
剣道を通しての友人の存在も大きかったでしょう。
それなりに青春していた。
化学に興味をもって、奇妙な実験してたし
部活をズル休みして工事現場に秘密基地を作ったり
それは島村で寝具を揃えるという本格的(?)なもので
工事現場の人たちもしばらく目をつぶってくれてた
そうです。かわいらしい青春だ。
いいことばかりではなく
万引きで捕まったこともありましったけ
そのことはこのブログでも書きましたが
書いていないのは
その後でもう一度やらかしたこと。
わたしが父親として最初で最後
息子をぶん殴った事件もあったものです。

そういうのもふくめて息子の成長と青春を
嬉しく、またまぶしく感じていた。
自分のそれと重ねて
わたしは3年のはじめに野球部やめちゃったからね。
息子には剣道があった。
昨年の関東大会の個人予選では最高の試合を
してくれました。
相手は全国大会優勝の上級生だった。

かといって
父親としては剣道で食っていくとか
警察になるために剣道やらせたつもりは
さらさらなかったのです。
息子が社会人となって一人で生きていくうえで
それが精神的な支えになってくれれば
という親心だったわけだ。
勝ち負けではなく、剣道を愛して
一生続けていってほしい。
だから、ちっとも楽しくなかったという
カミングアウトには心が痛んだのです。
「勝ち負けより、いい剣道をしてね」
これが最初から今現在まで変わらない
わたしの息子に対するエールだった。