あかんたれブルース

継続はチカラかな

正しい歴史認識



欝っとおしい雨の日曜日・・・
無料配信されていた『信さん・炭坑町のセレナーデ』
を観ました。
昭和30年代から40年代の九州の炭鉱町(島)を
舞台にしたノスタルジックな作品です。
本編と並行して主人公と在日朝鮮人の少年の
交流も描かれていた。
観終えて、ヤフーニュースの
明治日本の産業革命遺産」の土壇場の
韓国の態度豹変に血圧が上がった。
で、アホの井筒の『パッチギ』を思い出してしまい
もう哀しいやら悔しいやら情ないやらで
欝っとしいのう・・・イライラする。
頭を冷やすために、ちょっと真面目に語ります。

 徴用とは、戦争中などに政府が国民を動員して、
 兵役を含まない一般業務につかせること。

 日本では
 第一次世界大戦中の1918年(大正7年)3月に
 制定された軍需工業動員法が存在していたが、
 強制力は非常に弱いものであった。そのため、
 1938年(昭和13年)3月に国家総動員法
 翌1939年(昭和14年)7月に国民徴用令を公布して
 国民の職業・年齢・性別を問わず
 徴用が可能となる体制作りを行った。

戦時下における慢性の労働力不足が原因している。

 学徒勤労動員や女子挺身隊の名目で
 学生や女子などの非熟練労働者に対する
 動員が行われた。

うちの母親も軍需工場(工廠)に働きにいってます。
また当時全国の漁船は徴用され偵察任務に使われました。

 終戦時において、
 被徴用者は新規徴用161万、現員徴用455万、
 合わせて616万人が徴用されていた。

日本人全体でだよ。
対して、

 1944年8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた
 朝鮮人にも適用するとした閣議決定がなされる。
 その後、1944年9月より朝鮮人にも適用され、
 1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施される。
 日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は
 1945年3月までの7ヵ月間であった。
 戦後、賃金の一部が未払いであったことが問題とされ
 1965年に締結された財産及び請求権に関する
 問題の解決並びに経済協力に関する
 日本国と大韓民国との間の協定によって
 未払い賃金を含めた経済支援が韓国に行われ、
 完全かつ最終的に解決された。

この11ヶ月と7ヶ月を要チェック。
テストに出るぞ!

問題の「明治日本の産業革命遺産
たとえば軍艦島の石炭発見からの創業は
明治2年からだ。
その後三菱が参入して明治30年には
高島炭鉱を抜くまでに成長した。
韓国併合明治43年
上記したように徴用が朝鮮人にも適用されたのは
昭和19年です。
その11ヶ月もしくは7ヶ月間の半島からの徴用で
どれくらい軍艦島朝鮮人労働者が存在したのか?
ゼロとはいいませんが
徴用を強制労働とイコールとするならば
1938年(昭和13年)から
616万人の「日本人」がそれに携わったわけです。

朝鮮人労働者の場合
昭和19年以前は出稼ぎだったのだ。
強制でもなんでもない。
出稼ぎは日本であっても現在でもあるじゃないか。
東南アジアや発展途上国では
日本で稼ぎたいと出稼ぎに来ているじゃないか。

また、『パッチギ』で引き合いに出された
生駒トンネルは1911年(明治44年)に着工し
1914年(大正3年)に開通している。
徴用でもなんでもないじゃないか。
国会議事堂の建設が始まったのは1920年大正9年
竣工は1936年(昭和11年)。
使用されたという大理石などは
日本全国から取り寄せられた。
特に外装に多く使われたのが
広島県倉橋島御影石で、
議事堂に使用されたことから
「議院石」という呼び名もつけられている。
建築材料や設備の素材のうち、
郵便ポスト、ドアノブの鍵、ステンドグラスを除き、
すべて純国産品を使用して造られた
新議事堂の総工費は、
完成当時の金額で2573万5977円にのぼり、
工事従事者は延べ254万人に達した。
無論、徴用ではありません。

映画だろうがなんだろうが
韓国の言い分はおかしいと思いませんか!

なにが日韓友好だよ。
そんな誤った歴史に譲歩してまで
世界遺産なんかに登録する必要はない。
余計に溝が深まるだけだし
子供たちに負の遺産を背負わせるだけだ。

ぜんぜん冷えない。