あかんたれブルース

継続はチカラかな

ヒロシマの祈り、ナガサキの鐘


オバマ大統領が原爆被災地ヒロシマを訪問する
に際して、被害者であるヒロシマの人々は
「謝罪」を求めないという意見が大多数を占めた。
マスコミがどんなに誘い水を向けても
よそ者部外者の市民団体が挑発しても
彼らの視線はその先に向けられているようです。
頭が下がるというかその健気な平和の祈りには
感動をかくせない。

対して、大統領訪問に韓国の被爆者団体は
急遽来日を決め、謝罪と賠償を求めるとのこと。

この違いに両国の文化民族性の違いを
改めて噛み締めるのでした。

所謂、
半島の歴史的な「恨」(ハン)の文化と
日本の「赦す」の文化の違いです。

感情論ではなく歴史的なアプローチとして
この特性の違いは大きく深い。
恨みつらみをエネルギーにかえるという選択手段がある
ことは想像できるのですが、その結果は呪縛となり
それを手放さない限り未来永劫祟られてしまう。
これが朝鮮半島の悲劇の糧となっているようだ。

だけでなく、日本の赦すという発想意識信仰は
世界でも類をみないものだそうです。
世界各地に存在する紛争地域で
それをもって負の連鎖を解こうとする
地道な取り組みを行う日本人の姿には
この国がここ国の在り方が
人類の未来を導く一筋の灯のように感じてやまない。

同じ儒教の教えを共有したであろうに
大陸や半島とは違う
独自の文化を育んだこの島国に生まれたことを
誇りに思ったりするのは、ダメなんですか?

合理的にあれ、というのであれば
こういった恩讐ではなんの発展も進歩もない。
むしろ、それが呪縛となり悲劇を生むのだ。
発展とか進歩というものは
技術とか工業的なものだけではないんだ。
近代化とか民主化というものを
そういった点からも誤解しているんだよな。

被害者という「権利」を存分に行使しようという
イデアには危険を孕んでいる。
「そんなことは被害者の立場じゃないから!」
というヤジを
今回のオバマ大統領の訪問に際する
ヒロシマ被爆者、市民、そして日本人の気持ち
として静かにたしなめてくれたことが嬉しい。
それはどんなシュプレヒコールよりも
説得力があり効果があるのだと思う。

また、国内で様々な意見の対立があるなかで
ヒロシマ訪問を決意し実行した
オバマ大統領の勇気と誠実さには拍手を惜しまない。

平和を叫ぶだけの音頭囃しだけじゃ
なーんにも変わりゃしないんだ。
基地がなくなりゃすべて解決できる
なんってことはないことを実は私達は知っている。
その現実のなかで
いかにして、その理想を実現化するか
それに尽きるのではないでしょうか。

政治にマスコミに利用されてきた
民意というものに愛想を尽かしてきてたところで
今回のことは久々に救われる思いがした。

ヒロシマナガサキの祈りが届くといいね。
有難う。
あなたちのおもいは決して無駄にはならない。
教科書に記されることはなくとも
人類の歴史のエポックとなり前例、
「証」となることでしょう。