あかんたれブルース

継続はチカラかな

障害者=感動の種痘


リオのパラリンピックを結構熱く観戦しています。
感動しちゃうわけだ。

と、そのとき例の
障害者=感動 の方程式
が頭を過ぎる。この感動も偏見からなのか

確かに、Eテレの一石を投じる
は賛成同感だし
日テレの24時間テレビのやり方手口には
前々から眉をひそめていたものさ。
だから観ないようにしてる。
観たら感動しそうで泣きそうで、負けちゃいそうで
痛いのだ。

しかし、と
なんか不自由な時代だよなあ
障害者であろうとなかろうと俺はただ感動したいだけで
それを商品化してるとかポルノとか定義づけられても
困惑してしまう。
面白いけどね、パロディにして笑いとばすのは。
また、バリパラ以前からストレッチマンなど
Eテレが地道に挑戦、啓蒙していた姿勢は評価したい。
『無敵の障害者プロレス』を彷彿させられた。

どっちかといえばEテレ側を支持したいんだけど
なんか引っ掛かってしまう。

テーゼに対するアンチテーゼの堂々巡り
正論対正論の唾競り合い(あえて、唾だかんね)
言葉狩りや人権、セクハラ、個人情報云々まで
なにやらかにやらのしかかってくるような、感じ。

相模原の事件でも
マスコミは突っ込んで考えさせようとはしない。
良くはないけど石原慎太郎曽野綾子のほうが
率直で正直だと思う。馬鹿だけど。
かくいうわたしも若い頃
障害者がスカイダイビングなど
健常者でもそうそうできないスポーツ体験をやってる
報道に接して、鼻を鳴らした馬鹿でした。

ここで脱線しますが

ちょっと前にトリックスターさんが
オリンピックに関連してアスリートとエロをテーマに
なかなか含蓄のある記事をアップしていた。
わたしも大枠、その記事に納得だった。
ところがさ
昨夜のパラリンピック走り幅跳び
エロスを感じた。
それは卑猥なものではなく
美しさであり
そこから発するエロスなのだ。
誤解をおそれずいうならば色気といってもいい。

俺は変態なのか!

確かにマニアックな世界では
そういうジャンルもある。

でもさあ、違うんだよな。まったく別次元だと。

知的障害者の競泳選手のインタビューの受け答えが
可愛いらしくてね。
思わずほころんで、泣いちゃったよ。
よく頑張った!
それがマズイというならば仕方ない。
わたしはどこか彼方にいって隠れて感動しましょう。
どうかとめないでください。