あかんたれブルース

継続はチカラかな

さようなら「新宿鮫」と大沢在昌

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 「プロがいなくなった」とよく言われます。
 けれども現実の社会で「プロ」が必要なのかどうか
 疑問を感じる場面に遭遇することが、多々あります。
 プロを求めるのはどこか違う世界のことで、
 自分たちはお気楽にやって往きたい。というのが多くの現代人の本音ではなのか。
 デジタル社会というものが特別な(アナログ)人間を必要としないことを目的として
 誕生したものではないのか。
 そんな組織の中で「プロの存在」は厄介で排斥される宿命にあるのではなうかと。

 シナリオライター笠原和夫はその意味で私にとってはプロでした。
 プロの生業としてクライアントが存在します。その先に、観衆や消費者が存在する。
 けれどもその間のクライアントが時々理不尽な注文やミスを犯すことが多々あります。
 それを時代の流れとか色々な言い訳で粉飾しますが、結果としてミスはミスです。
 東映という組織のなかでプロとして生きる笠原はそんな理不尽に悶絶しながらも
 プロとして生きた職業人でした。

 大沢在昌の『新宿鮫』の主人公・鮫島もプロでした。
 このシリーズの最大の魅力は主人公の警察官という職業に対してのとしての
 プロ意識にあったと、私は思っています。
 そして、彼もまた組織から疎まれる存在でした。

 このシリーズでは『毒猿』が最高傑作だったでしょうか。

 そんな私と鮫島と大沢在昌の蜜月も
 『風化水脈』のあるシーンで破局をむかえ決別となります。
 それ以降の「新宿鮫シリーズ」は読んでいません。

 破綻の原因は例によって「喰いモノ」でした。
 モテモテの鮫島が馴染みの小料理で煮物を出されたとき、そこのママが
 「あなた、いま、切ない顔をしたわね。」(すばり言うわよ。細木か?)
 「煮物の匂いを嗅いで切ない顔をしたら男も一人前よ」(引き続きママの弁)

 私はこのシーンを読んで吹き出しましたね。
 前日の煮物を温め直してたのが腐ってて、それで切ない顔だったら最高でしたのに、、、。

 大沢在昌もそうですが売れっ子作家になると職場やホテルに缶詰になって
 日常との接点がなくなってしまうそうです。
 結局、飲み屋が唯一のストレス発散の場。
 生島次郎とか森村誠一とかその凡例はつきません。
 束縛された環境から過去の記憶だけではどうにならないのでしょう。
 同情と理解はできるのですが、安易に飲み屋オチネタはいただけません。
 薄幸の女を切り売りするプロに喰われてしまっているのか分かりまが、興味ないな。

 まあ、鮫島という主人公も小説の中の虚像なんですけどね。

 さようなら、鮫島崇警部。大沢在昌
 俺は笠原を指針にして往くよ。