あかんたれブルース

継続はチカラかな

「貧しさ」という脚気問題のもうひとつの側面

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森鴎外というどうしよもない権威主義者(2)

 25万人(戦死者の脚気患者を入れれば30万人か)対105人
 これが陸軍と海軍の脚気患者数の実状です。
 これは日本の軍隊が陸軍はドイツに学び、海軍はイギリスに学んだことも関係します。
 つまり、陸軍の軍医はドイツ式で海軍はイギリス式という図式もあったようです。
 当時、脚気は原因不明の難病でドイツ医学では細菌説を唱えていました。

 東大医学部派はこのドイツの細菌説に脚気の原因があるとしました。

 対する海軍はイギリス医学の臨床による治療を目的にする考えで、
 (ドイツは研究するという姿勢。鶏と卵ですね)
 海軍の高木兼寛脚気は食物にあるのではないかと考えはじめます。
 実は海軍では日清戦争以前から長期航海による脚気患者の問題を重大な危機としていました。
 そこで、従来の白米食から洋食というかパンに切り換えてみます。
 試行錯誤ではありますがそれなにの効果が見られた。

 ところが、これに大反発したのが東京帝国大学と陸軍軍医部門です。
 学説なき亡説として。
 そして、明治21年森林太郎という論客がドイツ留学から帰国すると
 この高木・海軍の「食物原因説」に真っ向から挑戦するのでありました。

 高木とて確証があってのことでないのです。しかし、実際に効果はある。
 論争は効果云々ではなく一人歩きをしてしまう現実に高木は忸怩たる思いに駆られる。

 脚気の原因はビタミンB1によるものなのですが、当時はまだ解明されていません。
 麦飯に効果がありそうだ、としても相手にされないのです。
 陸軍と海軍は総兵員で10倍の格差がありますから米食を簡単に転換するのは難しい。
 それは理解できる。
 しかし、米7に対して麦3の混合食をそこまで反対する姿勢は理解できません。

 また、悲しいことに当時の日本人は兵隊になれば腹一杯米の飯が食えるという思いが強い。
 副食なんて切り干し大根が主です。それでも何杯でもお代わりできる。
 (これは旅順攻略の第三軍の献立資料から)
 いちはやくパン食に切り換えた海軍でも水兵たちはこんなもの喰えないと
 食べずに甲板から海に捨てたそうです。(ちょっと前は丁髷でしたか(涙)
 副食費の支給も副食に使わず故郷への仕送りにまわしたという問題も大きかったそうです。
 日本は貧しく、民度も低かったわけです(泣)。

 それでも日露の頃になると麦飯混合が脚気に効果があると陸軍の現場では認識されて来ました。
 しかし、平時ならばその食料調達は各師団の裁量に任されるのですが
 戦時は陸軍本体が一括して行う。これで被害は拡大されるのでした。
 
 写真上が高木兼寛
   下は吉村昭原作の高木を主人公にした『白い航跡』