卵に弱い日本人でしたが、欧米人に比べてお酒もさほど強くありません。
それは平均的なお話として。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の何巻だったか脱藩前後だったように記憶しますが、
酒を飲む場面がありまして、一斗酒というかなんというか?こんなに飲めるの?
と、不思議に感じたことがありました。
確かに土佐は酒豪の土地柄ですけれど、、、。
お酒に関して小島直記の『逆境を愛する男たち』に面白い記述があります。
「千住の酒合戦」(ソースは杉浦明平『失踪記』講談社)
文化十二年(1815年)の酒飲みコンテストの記録がそれです。
要はタダ酒が飲めると聞いて江戸市中の大酒飲みが大集合したわけです。
七升五合飲んだとかあるのですが信じられますか?
今現在、酒豪と謂われるひと。まあなかには超人的で例外的な方はいるでしょうが、
七升なんて一升瓶七本を一人で飲むんですよ。さらに五合瓶が付く。
出場者約100名中、酔いつぶれなかったは3名だけだったそうですが、
中には酒一升、酢一升、醤油一升、水一升飲んだ方とか、、、変です。
で、そのナゾを究明するカギとして、
古今亭志ん生の『なめくじ艦隊』って本があります。
この人も酒が好きで好きでショウがない人でして、
何かの理由で酒が飲めない場面があります。
で、そこで、
「そんなんだったらミカン水でいいよ」という台詞があります。
ミカン水? オレンジジュースじゃないですか。
普通、酒飲みが酒が飲めないからってオレンジジュースで一時我慢しようなんて発想はしない。
(私は割としますが、、、。)
なんで、古今亭志ん生ともあろうひとがオレンジジュースなんだと。
これがひとつのヒントでした。
志ん生は酒だけ飲んでいたかった。
お酒っていうのは生活の中の非日常的なモノだったのではないかと。
つまり、お茶とか味噌汁とかそんなものは御免被ると。
それが飲めないのならしばらくオレンジジュースで乾きを凌ごう。
ミカン水っていうのもその次ぎくらいに非日常だったんじゃないかと想像するのです。
サイダーとかラムネじゃなかったんですね。
最近は少なくなりましたが、
以前はお正月のニュースでお年寄りが餅を喉に詰まらせて死亡する事故が多かったものです。
なんか分からないのですが年寄りってとにかく餅を沢山食べる。
特に爺。
一人10個以上食べるみたいですね。私はせいぜい3個ぐらいですよ。
年寄りにとって「餅」は特別なんですね。きっと。非日常な。
一説には昔の酒はアルコール度が若干、低かったというのもあるようですが。
さて、どうでしょう? あんまり変わらなかったような気もします。
それより、非日常と興奮して杯を飲み干す「男たちの挽歌」のほうが微笑ましいですよね。