「仁義」を堪能するには、まず、地理的な関係相関図を頭にいれると楽しいです。
広島と呉。例えがいいのかどうかはわかりませんが、
広島を横浜と考えますと呉は軍港「横須賀」のような感じでしょうか。
方位は逆になりますが、呉が横須賀なら阿賀が不入斗、広はほりのうち。ですかね。
この三地方都市を呉「三国志」とします。いいのかな?
当然、呉を征する者がその覇者となるわけですね。
呉の街のお話は前回しましたが、
その絶対的な実力者が長老・海生逸一氏でありました。本人は既に表舞台から身を引き、
所謂、影の実力者として呉(山村組)、阿賀(土岡組)、広(小原組)の三町鼎立で
己の実力(実業の世界、影の黒幕)を確保しようとしておりました。
が、終戦からこちら阿賀の土岡組の実力はメキメキ上がり山陽道でも確固たる存在になる。
呉と広の間に位置する阿賀は港町です。ここは全国有数のガラの悪い街です。
私も港町出身ですが出身者はそうは思いませんが、周辺住民は戦々恐々としていたことを
後でしります。(高校の時に他地域の学友に聞いて吃驚!まあ、そういば悪かったな)
そんな街で波谷守之は生まれ育ち、広島で修行して、終戦と同時に帰ってきたのです。
おっと、話が横道です。
そこで、老獪な長老・海生逸一は新参の呉(山村組)と広(小原組)を連合させて、
阿賀(土岡組)に挑戦させたのです。餌は勿論、利権です。
海生は土岡を潰そうとまでは思わなかったのでしょうが、このまま放って置くことに
ある危惧を感じたのでしょう。目的は己の影響力の保全確保です。
広の小原組は愚連隊あがりの若き小原馨が率いるベンチャー集団でした。
その挑戦的な行動力が土岡組の逆鱗に触れて、戦後初の呉の盆踊りの祭りの晩に、
大西政寛の気合い一刀のもとに片腕を落とされてしまいます。
『仁義なき戦い』のオープニングの残酷シーン第一発目は場所こそ闇市でしたが、
まさに事実であり、その因果関係もバッチリだったわけです。(二人やられている)
この頃の「やくざ」といわれる団体組織を大きく大別すると、
博徒、テキ屋、愚連隊の3つに分けられます。
博徒は賭博専門、テキ屋は行商興行、愚連隊は所謂「街のダニ」で不良少年の群です。
一番馬鹿にされていたのが愚連隊であり「ボンクラ」といわれていました。
(おなじ頃、広島市ではボンクラ大将打越信夫(映画では打本昇=加藤武が頭角を現しています)
ところが、関東大震災や太平洋戦争という天変地異によって、
この任侠老舗団体も甚大な被害に遭います。東京の任侠団体も愚連隊のメッカ横浜から
活きのいい若者をスカウトして組織の人事活性に励んだことから、
敗戦の組織再生に彼らの存在は大きく寄与するのです。
小原馨もそんな時代の流れを感じ取り、長老・海生逸一の招聘に応じます。
山村は恩師・海生逸一の前では直立不動の従順な部下を演じていました。
とても断れません。それに利権は喉から手が出るほど欲しい。
でも、土岡組は怖い。彼は事業の一環として「暴力部」を作りましたが暴力は苦手。
その暴力部も呉の「ボンクラ」を集めただけなので頼りになりません。
せいぜい、佐々木哲彦か美能幸三(広能)ぐらいなんですね。
だから、土岡との関係には気をつかっていて、実際この頃は良好なものですた。
さて、山村辰雄の正念場です。
このまま、土岡の風下もままでいいのか。それとも呉の覇権を握るか。
恩師・海生逸一の要望にはどうこたえるのか?どうする山村辰雄?
つづく