あかんたれブルース

継続はチカラかな

人がこの世で知る「人生最高の幸せ」

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 ここ最近、すでにひと月近く、児玉源太郎の本質を探るために論語など読んでいました。
 先日、儒教でいう「仁」の意味合いにふれ、それがへりくだったスタンスから発せられる。
 と言う記述に、「仁」を「愛」と解釈することに無理を感じてしまいます。
 作業はまた振り出しです。(児玉とは関係ないけど)

 なんの予備知識もなくあるブログ訪問して、その女性が脳腫瘍を患っていることを知ります。
 ブログには様々な病を持っている方々が闘病日記として更新されていることは
 知っていましたが、彼女の場合は病が病だけに切迫したものがあります。
 同時に、幼いふたりの子の母親でもある彼女にとって、
 不安の行方が、おのずと、我が子のこれからに行き着くこと、
 それは子を持つ親として、十分に理解できることでした。
 
 そこに、紛れもない愛があります。

 以前、認めたように、愛は存在する。
 それは「仁」とは若干ニュアンスが異なる。
 ここまでが現在の結論でしょうか。

 けれども、男と女の、しかも、永遠の愛の所在は彼方のままです。

 『ムーラン・ルージュ』という映画をご覧になりましたか?
 ミュージカルには、
 「単純なストーリーではあるがメッセージ性を強く込められる」
 という特性があります。昔、淀川さんに聞きました。

 この映画の中盤にニコール・キッドマンユアン・マクレガーによる
 「愛の禅問答」があります。
 ヨーロッパ・ラテン民族の情熱と現実主義のつばぜり合いです。後者がキッドマン。
 
 才能だけの人 たわいもないラブソング もう 聞き飽きた

 必要なものは愛 愛があれば 生きられる

 ビジネスには邪魔な愛ね お金がなければ生きていけないの 

 愛の高みに 幸せがある

 人は愛で分別をなくすものよ 

 愛は人を英雄にする 運命が結ぶ 君と僕

 長続きするはずがない

 だから時を盗もう そして 英雄になろう いつまでも永遠に 永遠に生きる

 (そして、)

 人がこの世で知る「人生最高の幸せ」
 それは、だれかを愛して、そして、その人から愛されること

 これがこの映画のテーマです。
  
 愛が瞬きのようなものであったとしても
 人がこの世で知る「最高の幸せ」ということは理解できます。
 永遠にするには、時間を盗むこともひとつの方法のようです。
 すこしは、先進かな。匍匐だけど、