というわけで、「仁義なき戦い」の「仁」を語ったので(語ったか?)、
「義」も語ります。(強引な論法じゃ)
注)仁義の仁は「愛」じゃなかった。(前記事参照)
義理と人情を秤に掛ければ、義理がハナ差(0.1秒)勝るのが男の世界だそうです。
この「義」に「言」を足すと「議」になります。(ほらほらいつもの屁理屈が始まる)
「議を言うな」は幕末薩摩藩の国家スローガンでした。薩摩藩のね。
鹿児島圏ではいまだに「議」「議論」「理論」「理屈」を忌み嫌います。(誤字じゃないよ)
「義」は大切なのに、口に出すことを拒絶したストイックな地域です。
言葉には言霊が宿っているというのに表現の自由を認めません。
対する長州は天下国家を大いに語るお国柄でした。
現在の「議論して」という形容も明治の長州閥から発した政治行動なのかもしれません。
「仁義なき戦い」の舞台、広島・呉は毛利長州文化圏です。
早い話が広島・山口の山陽やくざは「理屈っぽい」のです。
「仁義なき戦い」が鹿児島の小桜一家で勃発したら台詞なんて存在しない。
バーン、バーン、ぎゃー! グサッ、ドドドド、ブー、ビーッ(?)
手記にもならないから映画にもならなかったかもしれません。
「義」は口に出したり語ったりしてはいけないのです。
だから「仁義なき戦い」は、仁義「なき」であり、「仁義なき戦い」なのです。???
かといって鹿児島県人が広島県人に比べて口べたで議を唱えないかというと
大間違い!とってもうるさい部族です。ホント
だから、「議」を戒めたという歴史的背景がここにあります。ホント
さて、「仁義なき戦い」で
「広島の喧嘩は銭じゃカタは着かあせんのよ」という名言がありますが、これも嘘。
すべての原因は銭と利権に始まり、その解決も利害が落とし所となります。
奇しくも第四作で主人公・広能昌三はこう呟きました。
「間尺に合わん仕事をしてしもうたのう」と。
そう、彼らの行動原理には「間尺に合う」かどうかが最大のカギとなるのですね。
したがって、「仁義なき戦い」の本当のタイトルは
「間尺に合わない戦い」で、これが泥沼の広島抗争の実像です。
写真は旅人殺しで業界デビューを果たした広能(実話は美能幸三)。
この無作為な殺人にも男を売るための意図が若干あったか?
刑務所で若杉(大西政寛)の舎弟となり山守組(山村組)の一員となる。