あかんたれブルース

継続はチカラかな

ジャーナリズムという残酷と力

 昨日のハゲタカが狙う子供の写真の話
 私の記憶は曖昧ですが、確か、あの写真はジャーナリストへの最高評価とされる
 ピューリッツア賞を受賞したのではなかったでしょうか。
 私が見た写真はアングルも違いモノクロでしたから、もしかすると違うのかもしれませんが、
 ここでそれはあまり問題になりません。

 その作品が受賞後に問題とされます。
 これを撮したカメラマンはこの悲惨な状況を最後の最後まで記録しました。
 忠実に事実をありのままに撮影したのです。

 なぜ、ハゲタカを追い払わずに! 人間としてシャッターを押せるのか?

 結局、賞は剥奪されたんだったかな? 問題になっている記事だけは記憶してますが。

 ジャーナリズムって何?
 たとえば、「戦争はなくならない」というジレンマや
 「貧困に喘ぐ人々や国をなんとかしたい」という気持ちの前に
 私たち一人一人の力は非力です。
 そのような思いの出発点は、個人的な思いから始まりるので、よけいに凹みます。

 伝えるという手段で多くの人々を動かせる。
 このカメラマンもそう考えたのでしょうか?
 そう主張するでしょうね。

 私は写真を撮ったあとに棒で石でもなんでも使って追い払えよ!
 と思うのですが。

  いや、こんなシチュエーションはこの子だけじゃない。
  ここで追い払ったとしても私はこの子を最終的に助けることはできない。
  また、それは私の役目ではない。

 とかなんとか宣うのでしょうかね。想像ですが。

 この子の命と引き替えに平和ボケと言われる私たちが感動するという図式。
 でもさ、助かる助からないは別として、人間として変じゃないか。
 
 だいたい、最後の残酷写真なんて一般では発表できないじゃないか。
 それとも証拠写真のためなの?

 それとは別に、親から虐待を受けて死んでいく子供たちもいます。