あかんたれブルース

継続はチカラかな

ウェブ進化論からネットの絆を考える

イメージ 1

 「六次の隔たり」という考え方があるそうです。

 「地球上の任意の二人を選んだときに、
  その二人は六人以内の人間関係(知己)で必ず結ばれている」

 というものです。
 本当かしらん? と思うのですが、なんか本当のような気がします。
 今週末、ブログで幾つかの偶然や繋がりを体験したもので余計にそう感じています。

 人間同士の関係が希薄になっています。
 うちのマンションの約半数の住人が挨拶をしません。老若男女。
 (マンションの付加価値はそれが最も重要なのに)
 養老さんは「バカの壁」で共同体の崩壊を指摘していました。

 私がブログを始めたのはいくつかの理由があります。
 はじめ、若い人達の中に入っていくことに戸惑いがありました。
 半年ほどの間に多くの友人が出来ました。
 相手の顔も知らないバーチャルな世界です。
 けれども、そこに深い絆を感じてしまうのは私の錯覚なのでしょうか。
 多くの出会いと共に別れもあります。
 突然、クローズするブログは新しく誕生するそれと同じ数だけあるのではと
 思ったりもしました。

 六次の隔たりさえ越えれば世界中の誰とでも結ばれているのならば、
 ブログという伝達方法がときにその隔たりをワープさせてしまうことも知りました。
 それは、リアルな世界よりもお互いを素直に、率直にさせ、
 気遣いと思いやり、そして祈りに満ちている場合があります。
 リアルな世界ではガードがあったりして「隔たり」を厚くさせているようです。
 私は、最初はブログに対して懐疑的でした。
 こんな頼りなさそうな蜘蛛の糸に言葉だけでなんの効力があるのかと。
 
 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でしたっけ。
 地獄に落とす一本の蜘蛛の糸のお話。
 別に私たちが地獄にいるってことではないですよ。たとえば、です。
 あれは相当に強い素材で出来ていたんですね。
 「信じる」ことさえできれば、決して千切れないスグレモノのようです。