あかんたれブルース

継続はチカラかな

泣きながら月夜の晩に生まれて落ちて

イメージ 1

 剣道の試合では勝ち負けがあり、判定からでも敗者が決します。
 負けた子は必ずといっていいほど泣きます。(小学生の話ですよ)
 東京武道館日本武道館で1000人2000人の試合があれば、
 999人1999人の涙があるわけです。(大洪水だ)
 はじめそれを目撃したとき、ピュアな気持ちなりました。
 俺らの小さな頃、こんなに泣けたかなあ、、、。と
 そのことを友人に話したら「違うよ馬太郎さん」と意外な言葉が返ってきました。
 最近の子は感情を制御することができないのだとか。
 少々冷や水を浴びせられた感じ。確かに俺らの頃は泣かなかったよなあ、、、。

 子供はよく泣きます。
 パパ?大人は泣かないの。と先日、聞かれました。
 (質問の主旨はどんなに痛くても。確かに痛くて泣いたりすることはなくなりました)

 君たち子供はまだ赤ちゃんの記憶が残っているんじゃない。
 赤ちゃんは泣きながら生まれてくる。
 まだ言葉がしゃべれないから泣くことでしか思いを伝えられなかったんだ。
 お腹が空いた。オムツを替えて。眠いなどなど。
 そして、痛かったりするときお母さんやお父さんに泣いてその気持ちを伝えたい。
 その気持ちがまだ残っているんじゃないかなあ。
 大人になるにつけてだんだん泣かなくなると思うよう。
 泣いたってその痛みはどうしようもないことを知っているからね。

 大人になると少々の痛さでは泣きません。
 それより、心の痛みとか悲しみとか感動して泣く場合は増えるでしょうか。
 でも、なぜ?泣くのでしょう。
 いったい誰にそれを訴えようとして泣くのか。

 人前で泣くなと言われたか、自然にそんな楔を打たれているようです。
 非道いときには「人生で三度だけ」なんて脅迫されたりもします。
 それはそれとして、できれば悲しみよりも感動して泣きたいものです。
 オイオイと誰はばかることなく泣く。気持ちいいだろうなあ。これも幸せか?
 それとも「バカはサイレンでも泣く」と笑われるか。バカで結構。

 司馬遼太郎の『世に棲む日々』で吉田松陰と友との別れのシーン有り。
 オイオイと泣きます。大泣き!
 そして、余談だが。「この頃の日本人はよく泣いた」と司馬さんはブチ上げます!
 昔の日本人はよく泣いたそうです。では、いつから私たちは泣くことに戸惑いはじめたのか?
 どうも戦前・戦中・戦後のようで、失ったのは北方領土だけじゃないな。
 正確には泣いてもいいが「ちょっぴり後ろめたく」なった。ですかね。
 
 自分意外のことで泣いていたりする心優しき友よ、
 別に泣いてもいいよね。バカでもいいんじゃない。
 誰がために鐘は鳴る
 私、今夜は泣くと思います。 れーいーこーっ♪