あかんたれブルース

継続はチカラかな

明治の美人ってこんな感じ?

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明治イイ女列伝(イントロ)



 綺麗な女の子でしょ。
 これは明治41年の日本初の美人令嬢コンテストの第一位。
 末広ヒロ子ちゃん(当時16歳)。
 福岡の小倉市長の娘で学習院に通うために義兄・江崎清の家に下宿していました。
 この清兄さんはカメラマンで彼女をモデルにした写真を無断でこのコンテストに投稿!
 現在のタレントの逸話にある本家本元元祖のエピソードです。そして優勝!
 (世界大会でも6位)

 ところが、

 それを知った学習院院長で、あの乃木希典
 「怪しからん!」
 哀れヒロ子ちゃんは退学になってしまいます。どうする清兄さん!

 幸い、乃木閣下のはからいで友人の野津道貫元帥(日露戦争では第四軍司令官)の
 子息と結婚して侯爵夫人となりました。めでたし。めでたし。
 野津の孫が上原謙で曾孫が加山雄三ね。美形の家系か

 でも、なんか釈然としないな。
 そんな美人コンテストに出場したからって退学させることないじゃないか!
 おい!乃木よ。頑迷過ぎるんじゃないの。なに?バックに女性差別反対団体がいた?(嘘)
 まあ、乃木の意見というか当時の風潮とか学習院の体質っていうのもあったのでしょう。
 乃木の例の仁者の温情ってやつで玉の輿に乗れたのだから、、でも、なんか、引っかかる。
 きっとヒロ子はそれまで、沢山、沢山、泣いたと思うのよね。(美人にはやさしい)
 だいたい乃木ってマッチポンプみたいで、だから、旅、順、、二、、やめておきましょう。

 当ブログが近代史ブログだって知ってた?
 ということで、明治の美人・いい女をいい男・馬太郎が検証していきま~す。